京都「桃山陵墓地」は豊臣秀吉が築いた伏見城の本丸南斜面に、大正2年に明治天皇陵、大正4年に皇太后陵が築かれた場所です。近くには平安時代の桓武天皇のお墓もあります。
文禄元年、秀吉は関白の座を秀次に譲り、隠居城として京都伏見に城を作り始めました。文禄の役のため肥前名護屋にいたときです。この時の指月伏見城は文禄末年に地震で倒壊し、引き続き慶長元年〜2年、背後の木幡山(こはたやま)に築いたのがこの城です。翌年に亡くなるまで秀吉はここを拠点としました。
その後、関ケ原を勝利した徳川家康が慶長6年から入り、再建を進めましたが、大阪夏の陣で豊臣家が滅亡すると、その役割を終え、元和6年に伏見城は破却・解体されたのです。この年はちょうど徳川大坂城の築造がはじまった年で、解体された伏見城の石垣石は大坂城にも持っていかれたと考えられています。
伏見城下町周辺の発掘ではこのような文献史料を裏付ける証拠が少しずつ見えてきています。石垣は解体されてほとんど残っていませんが、発掘された石垣石からどこまで分かるのでしょうか。秀吉期のものか、徳川期のものか。