1月6日(月)
SY村で村長、副村長から村の歴史やOTOPの話をうかがう。SY村が属するタンボン(村の上の行政区画)セーペットは土器がOTOPの産品に指定されている。一方で土器作りが盛んなD村が属するタンボン・ナピンは、ノンサムランという村で今もやっている塩作り(写真左下の丸木槽で濃縮塩水を得る)が指定されている。SY村では2003年に32人のポターたちにそれぞれ100Bが配られたのみで何の取り組みもなく効果を上げなかった。この村に電気が来たのは1970年、水道は2003年とまだ新しい。水道の水は洗い水で、飲み水は今も天水を貯めて使っている。土器に使ういい粘土がなくなったねぇという話をしていたら、村長曰く、「昔はよく土を食べたよ・・・・」と。土食の文化は世界中にあるらしいがここでは焼いて食べていたらしい。
午後、Sさんの娘がおやつの時間にカボチャを蒸してくれた。竹竿で落としたココナッツの内皮を削り、ザラメをかけて食べる。ほくほくしておいしい。
それから4人のポターの家を1軒ずつ回って聞き取りと土器の実測を行う。結局作っているのはもう2人しかいないことが分かった。
SY村の隣のM村にも一人ポターがいることが分かり訪ねてみる。Cさん(65歳)は小学生の孫と二人暮らし。ちょうど今日から始めたばかりで、混和材チュアを作っていた。今年が最後、来年はもう作らないよ・・・去年、デンマークとドイツから先生と学生が来て土器作りを披露したそうだ。土器や道具の実測をさせてもらう。
CさんはP村の出身。かつてP村でもたくさん土器を作っていたよというので、訪ねてみる。SY村から北に3km。まだ若い50代後半のポターPさん、Cさんから話を聞くことができた。二人とも2~3年前に止めて今はだれも作っていないという。しかし、家にはまだたくさんの土器が積みあげられていた。
SY村をはじめ周辺で土器を作っている(いた)6つの村はいずれも親族関係等でつながりがあり、同一系譜の土器作りであることがわかった。そして、なぜかいずれの村もSN村の1箇所のみから粘土を採掘していた。
夜はウボンに戻って元教育長のC先生らと食事。