高畠町には近代にたくさんの凝灰岩丁場が開発されました。今、生きているのは瓜割山のみ。
周辺には時間の止まった丁場がいくつも点在している。
西沢のようなつい昨日まで仕事をしていたような人の気配がする丁場がある一方で、品質最高といわれた沢福等(さんぶくら)丁場は、廃絶して久しくすでに深い森にかえっていた。上部にある切石丁場のまわりには鍛冶小屋の石積み基礎が点在し、活気があった往時の姿をしのばせる。上部が朽ちて跡形もない小屋跡ではあるが、やや隅に寄って作業台とみられる大きな石がおかれており、わずかに職人の息遣いを感じさせてくれる。ここでは間知石も集約的に生産されていたようだ。沢伝いには石引道があり、石下ろしの痕跡がくっきりついた敷石が所々残っている。
西沢丁場では末期に発電機を導入し、溝切りに機械を用い、石材を岩盤から剥ぎ取る「すくい」には伝統的な「鉄矢」を打ち込む方式で行っていた。新技術導入のひとつのあり方として興味深い。
羽山では丁場末期の機械掘りの道具が残されていた。
近世から大規模に採掘していた大笹生では、石切場周辺に立派な石垣がのこっている。
これら近代化を支えた産業遺産は、町並みの石造物や人々の記憶に痕跡を残しつつも、いまひっそりと眠りにつこうとしている。
縄文時代草創期以来利用されてきた洞窟遺跡、飛鳥時代の横穴式石室群集墳、中世・近世の石造物や石鳥居、「たかはた」の歴史や景観を形作ってきた自然資源がこの凝灰岩である。また現代のブドウ生産もこの凝灰岩の風化土壌に支えられているという。
たかはたに通い出して8年。須恵器窯の調査の時には人と「木」の関わりについて勉強させてもらった。今度は「石」をキーワードにして、地域や、人の、過去・現在・未来をつなげてみたい・・・・、そんな気がする。