歴史遺産学科

歴史/考古/民俗・人類
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2013-05-12

3年目のスタート

五月晴れの下、まちあるき3年目がスタート。

高畠はヤマザクラや遅咲きのソメイヨシノ、じゅうたんのような菜の花、シバザクラ、チューリップ、ハナミズキ、レンギョウなど里山から街中がカラフルな花であふれています。

今日は、14名が5班にわかれ、二井宿街道の住宅景観を特徴付ける高畠石-「屋敷明神」「石塀」「サイロ」「ナツカワ」の集中調査を行いました。学生リーダーも世代交代し、そのOGたちとフレッシュな顔ぶれが調査を牽引します。昨年までの網羅的な石探しから、あらかじめ用意した聞き書きシートによる統一的な質問、データの採取を試みました。お忙しいなか、快く調査に協力していただいた皆さんに深く感謝申し上げます。

 

まずは、昨年度末に完成した「石材記念碑」解説板の前で記念撮影。

これは幕末に沢福等(さんぶくら)丁場を開いた島津次郎兵衛氏と、その流通を支えた遠藤友之助氏を顕彰して、明治44年に島津氏の弟子たちが建てた記念碑です。沢福等は良質の石材を長く供給し続けた高畠石を代表する石切丁場です。島津家には当時の古写真残っており、その写しをプレートにはめ込んで石碑建立の経緯を解説してあります。高畠町教育委員会が予算化、東北芸術工科大学が原稿を作成し、高畠石の会会員によって設置されたものです。これからは高畠石を訪ねる際のランドマークとして活用されることでしょう。

 

写真にうつる背後の山並みは現地に立ってみると今もみることが出来ます。石材記念碑は、時代とともに移り変わる街並みを100年以上にわたって、この場所で見守り続けてきました。まちあるきは、社会や生業の変動とともにあった「地域の日常」を、人とモノの記憶から住民とともに掘り起こし、紡いでいく活動です。この「日常」が、大切なものを失いつつある現代社会にいくつものメッセージを伝えます。記念碑が地域の歩みを振り返り、未来のありようを考える場として長くあり続けることを願っています。

 

 

「屋敷明神」の再調査。なぜ、3基も並ぶのか・・・・

 

「水神様」「お稲荷様」「屋敷明神」石祠の信仰はひとつではない。

 

 

 

 

 

 

 

春の瓜割山丁場を望む

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どこの家にもあったサイロ。酪農から果樹栽培に生業が移り変わるとともに壊され、その姿が消えていった。

しかし、再利用されたサイロの石材から往時の姿をしのぶことができる。 

写真はサイロ上部の小屋掛けを下ろし、田んぼの稲杭保管庫に利用。

 

 

 

 

 

 

出発前、あわただしく調査方法を確認する。

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