葉っぱが落ちた晩秋の山はいい。
高畠町大笹生と細越。農作業中のおじいさんから昔の石仕事の話を聞きながら、久しぶりに石切り丁場をあるいた。
大笹生は高畠で最も早く始まった丁場で、戦前にはすでに廃棄されていたという。ここで切っていた人はもういない。登り口の路傍には山の神のほこらがひっそりとたたずむ。かつての喧騒を物語る「ずり(石屑)山」を均した石垣が幾段にも重なる。
谷筋をひたすら登っていく。石降ろし道の脇や斜面に露出する転石のそばに間知石(けんちいし 護岸用の小型石材、農閑期の副業に多くの家が生産した)を採った跡が点在する。
谷を登り切ったあたりから幾筋も大きな堀割がみえてきた。その先には「一二八(いちにいはち)」とよばれる長さ180センチ、重さ300キロの延石を切った石切り場がある。いったいいくつあるのだろうか。石垣で囲われたずり山と道具修理の鍛冶小屋跡(石積み基礎)が点在し、それらを結ぶ道が縦横にはしる。
全国に凝灰岩・砂岩など軟石系の石切場が数あれど、高畠石の丁場群は独特の景観をもつ。簡単に言うと小規模分散型。延石と間知石の複合生産を基本としつつ、石材資源の分布という自然条件、石工・石屋の存在形態、農家の生業などと深く関わりながら展開した。高畠固有の自然・社会条件がこのような遺跡景観を生んだとみることができる。また、石切り産業や各地の丁場の盛衰は、大正期の高畠鉄道開通やトラック輸送の拡大など交通事情の変容と重なる。
石切場のある風景は、現代、高畠町ではどこにいても視界に入る。これらは高畠の近代社会を知る上で欠かせない文化遺産であると同時に、地域アイデンティティーをなす文化的景観にもなっていると思う。
そんなことを考えていたら、突然、目の前を脱兎のごとく走る動物が・・・。そう、ちかごろ宮城県岩出山では「カンガルー」もどきが某朝テレビで話題になっているが、こちらは正真正銘の脱兎である。
つわものどもが夢のあと。