歴史遺産学科

歴史/考古/民俗・人類
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2009-12-19

伊勢は津でもつ


「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」伊勢音頭の一節。最近では聞くこともあまりないかもしれない。
津は、薩摩の坊津、筑前の博多津ともに「日本三津」とよばれ、明にも知れた港町だった。ここに近世に織田氏、富田氏が城を作り、慶長13年から藤堂高虎が入った。伊勢を拝領した高虎は津城を平時の居城とし、伊賀上野は有事の城として整備したという。

津城は二つの河川の河口近くに作られた連郭式の平城。現在は内堀に囲まれた本丸(と西の丸)のみが城のたたずまいを残す。築城の名手−藤堂の慶長期の石垣は独特だ。とにかく角石が長く、規格性がつよい。隅角部は直線的で勾配がゆるい。伊賀上野城で見た特徴はここでも健在。ただし、慶長16年ごろから築城といわれるように、伊賀上野よりも新しい要素(築石・角石の面仕上げなど)が目立ち、慶長15年の尾張名古屋城に近い技術をもつ。

天守台と本丸南辺には慶長前期の石垣がのこる。藤堂以前の富田氏時代のものとみられる。古式の石垣は藤堂期に修理された可能性があり、東側は寛文期に大規模に修理された。

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