昔から県境をはしる電車(汽車)に揺られるのが好きだった。そんな環境に育ち、県境をまたいで行き来する生活をしていたせいだろうか。乗っては降り、降りては乗る、高校生やお婆さんたちの他愛のない世間話に耳を傾ける。訛りを聞きながら、人の行き交いに歴史を重ねてみる。
今回は尾張、伊勢、伊賀、大和の入り口まで行ったり来たり。今日は伊勢の津から伊賀神戸、名張をへて奈良県榛原に移動した。すぐそこはもう桜井だ。伊勢は寒いがよく晴れていた。が、伊賀に入ると雲がかかりだし、室生あたりから雪が舞い、榛原・宇陀は雪だった。
目指すは宇陀松山城。文禄〜慶長前期に豊臣系の大名が整備した城で、元和元年には破却されている。近年の発掘で城の全貌が明らかとなった。息を切らして山頂まで登ると寒風もなんのその、360度のパノラマが開けていた。石垣は短期のものがパックされており(天守郭と門付近で違いはある)、城割り(破城)の痕跡が生々しい。
松山の城下町はいま伝建地区に指定されている。城廃絶後は伊勢へ抜ける街道の在郷町として発展した。台格子・虫籠窓、屋根には煙出しのある町家がならぶ。漆喰塗りの白壁に混じって黒壁の家も少なくない。変に観光化されておらず、生活感のある町並みである。