村には6年前に電気が来て、いまでは121戸の2/3の家に電気が引かれている。夜は6時には暗くなり、電気をつけた家がぽつぽつみえるが、みんな寝るのは早い。
夕方4時半ごろから各家では夕食の準備がはじまる。庭先で五徳(三本足の鍋台)に薪をくべて米を蒸す光景が一斉にみられる。朝のもち米を暖めなおして食べることも多い。イサーンからラオスにかけてはもち米を蒸して、少ないおかずと一緒に食べるのが伝統的な食事。イサーンでは、夕食に炊いたうるち米を食べるのが普及しているが、ラオスではもち米食の伝統が根強い。
水は飲み水を池から汲むほか、打ち込み式の手押しポンプを設置してシャワーや洗濯、菜園用の水を得ている家が半数近くある。となり村では2kmも歩いてこの村の別の池まで飲み水を汲みに来る。雨季は天水も利用するらしい。
家は二間×三間程度の広さで高床式のワンルーム。雨季の台所にもなるテラスがつく。壁は竹を千鳥格子に編んだものや木の葉を竹で編みこんだもので涼しい。米倉は竹小舞の泥壁だ。床下は土器作りやティップ・カオ作りなど様々な作業スペースとなる。
どこの家にもトイレは無い。どこでするの?その辺の家の無いところ・・・穴を掘って。でもあんまり深く掘らないで・・・。村の中は牛や水牛、豚の糞だらけなので別に気にはならない。
驚いたのは牛や水牛たちが、朝ひとりで(2〜5頭程度が列をなして道を歩いてくる)田んぼへ出かけ、草をたべ、夕方自主的に戻ってくることだ(時おり子供が水牛を曳いていることはある)。イサーンでは男たちが綱を引いて田んぼに連れて行って、いないときは杭に綱を結んでいるのをみていたのでびっくり。ここでは牛たちも自立?している。村の道を普通に歩く豚や鶏たちをみるにつけ、動物達も人も自然だ。同じ生態系の一員として暮らしている・・・。ただそれだけだ。
女の子は15歳〜18歳ぐらいで結婚し、子供を産み始める。Sさんの娘は12歳でタイのムクダハーンに働きに行っている。姉のTさんの12歳の娘Rはもう一人前に仕事をして、兄弟いとこ連中のおねえさんとして堂々としている。土器を作って焼くだけでなく、山刀を自在に使って竹細工もする。近所に住む彼女のいとこの少年は両親と姉二人がビエンチャンに出稼ぎにいっており、一人で村に残っている。そんな暮らしぶりは経済的には決して豊かとはいえない。しかし、幼少期から保護的な環境下で育てられ、物質的に満ち足りた暮らしを享受する日本の若者にはない強さが感じられる。自由であれといわれる不自由、自己主張と同調圧力がともに求められる人間関係、選択肢があるようでない就職・結婚、便利になりすぎた情報通信、そんな社会環境は自立した人間を育むのにはむかないのだろうか。