午後からは戊辰戦争イチオシの山の辺の道に向かいました。
山の辺の道は飛鳥と平城京を結ぶために拓かれた日本最古の幹線道路です。
現在は天理駅から桜井駅までの約16キロのハイキングコースとして整備されています。
最初は大物主大神(おおものぬしのおおかみ)を祀る大神神社。
大和朝廷創始から存在することから「日本最古の神社」と言われています。
三輪山を神体とするために本殿はありません。
自然崇拝のアニミズムの特色がある三輪山信仰は縄文か弥生に遡るとされています。
太古から存在する原始神道を大和朝廷が政治利用したと想像を膨らませるとワクワクします。
縄文時代から形式や様式を変えて現代まで続く人々の「祈り」の心…ロマンです…
次は空海が創建したと伝わる長岳寺。
本尊の阿弥陀三尊像は玉眼を使用した日本最古の像です。
また、季節によって見事なツツジやカキツバタの咲く、花の寺として知られています。
長岳寺は穴場スポットなのかほとんど観光客の姿が見受けられず。
大事な仏像に至近距離まで近付けて、ちょっと心配になるくらい自由に見学出来ました。
私たちは本尊のある本堂に上がったところの天井に凄いものを発見しました。
お分かりいただけただろうか…?(心霊番組っぽく)
天井に残る足跡、床を這ったような指の跡、点々と散る飛沫の跡。
病気さんや他のゼミ生たちの何か言いたそうな視線に負けることなく激写しました。
血天井です!!
立札によると血天井の由来は戦国時代のこと。
長岳寺裏手の竜王山城(城主は十市氏)に松永弾正久秀が攻め入りました。
斬られた十市方の武将が縁側から本堂に逃げ込んだところで息絶えたといいます。
この血天井はその縁側の板を天井板に張り替えたものという話です。
個人的な疑問点としては、
?何故わざわざ天井に張り替えるのか(寺らしからぬ所業です)
?足跡は裸足だが、武将はわざわざ草履を解いて本堂に上がったのか
?長岳寺まで戦の舞台になったのに燃えずに残ったのか
などなど枚挙にいとまがありません。
これだから歴史は面白いなあと猟奇的な血天井を見ながらしみじみしました。
今度詳しく調べてみることにします。
最後は布都御魂(ふつのみたま)大神という神剣がご神体の石上神宮(いそのかみじんぐう)
石上神宮は飛鳥から奈良に続く山の辺の道の中間地点に位置しています。
境内にはニワトリ、ウズラ、白色レガホンなどの鶏が放し飼いになっています。
20年ほど前に誰かが捨てた鶏が増えて神の使いとして飼われるようになったらしいです。
この中のどれかは夏祭りに売っている物凄い色のヒヨコだったのではないかと想像しました。
奈良県の動物たちを「神の使い」として大切にするところは凄いと思います。
京都や大阪に比べるとインパクトに欠けるイメージがあった奈良。
実際にはいにしえの都としての広い度量のあるまほろばだということが分かりました。