歴史遺産学科

歴史/考古/民俗・人類
*
2010-10-09

小田原の城と石切丁場をあるく


2009年9月、国の「選定保存技術(文化財石垣保存技術)」に認定された団体−文石協(文化財石垣保存技術協議会)の技能者研修会で小田原に行ってきた。

この研修は、城郭などの文化財石垣の修理に携わる中堅技能者等に対して、広い知識の習得と資質向上をはかることを目的とし、専門家が講義をしたり、熟練技能者による実技指導などを行う。石垣修理にたずさわる行政、設計監理者、ゼネコン、技能者、城郭研究者が協力してこの団体を作り、自らが文化財石垣の保存・修理に知恵を絞っている。

今回は小田原で5日間の研修が組まれている。この日は講義2日目、朝9時から20名の方々が真剣なまなざしで講義を聞いてくださった。

講義がおわってから小田原城や小田原合戦の石垣山一夜城などを歩いた。石垣山のある早川周辺は伊豆半島東海岸に群在する江戸城関連石切丁場の北端部にあたる。近年発掘で注目を集めた早川丁場関白沢支群を歩いた。大型の角石ばかりを切り出した丁場である。緊急調査で移動を余儀なくされた石の一つが一夜城の一角に置かれていた。1個、8トン余りという。農道の脇にはもらい手の見つからない角石用石材が多数並べられていた。もったいない・・・・。

観光や磯釣り場の海岸線にも矢穴石が点在する磯丁場がある。ミカン畑に開かれた山腹には段々畑の石積みに混じって刻印石がみられる。城普請に沸いた当時の活況が偲ばれる。

小田原には後北条氏の中世小田原城、大久保氏らの近世小田原城、豊臣秀吉の石垣山一夜城など、スケールの大きな著名な城跡がある。一般に、城下町から発展した地方都市では、住民がかつての城主へ強い思い入れをする。地元びいき、お国自慢は地域で暮らす原動力にちがいない。

小田原ではどうなんだろう・・・。と関係者に尋ねてみると、複雑だという。特定の人物に思い入れしない。冷めている。盛り上がらない・・・。文化財担当者としてはちょっと歯がゆい面があるのかもしれない。
駅前には北条早雲の銅像が立っていた。小田原は始祖をシンボルとしているようにみえる。早雲は玄人好みの人物といわれる。歴代、城主がたびたび変わった譜代の城下町や、敗者となった武将の都市ではそんなことがあるのかもしれない。かく云う私の故郷も一向一揆、真宗が骨に染みついた土地だ。織豊勢力に蹂躙された記憶がどこかに残っている。

まちづくりや行政が地域アイデンティティーをコントロールするような場面に出会うとちょっと抵抗を感じてしまう。根拠のないお国自慢を暴走させないように、みずからが歴史を見つめる目を鍛えていくことが必要なのだと思う。





最近の投稿

最近のコメント

アーカイブ

カテゴリー

メタ情報

東北芸術工科大学
TUADBLOG