歴史遺産学科

歴史/考古/民俗・人類
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2011-01-04

世界遺産”ワット・プー”の修復現場

今日は休日。

そこでパクセーのチャンパサック歴史博物館と世界遺産ワット・プー(アンコール・ワットと同じクメール時代の遺跡)を見学することとする。

朝、開館と同時に博物館を見学。ガラスケースの中に土鍋を発見。熟覧させてもらう。近代のものとみられるが、現代の土鍋に通じる技法・形で興味深い。
2階は戦争とレジスタンス、解放と発展の歴史。この国の現代史を垣間見た。

博物館を出て、ワット・プーを目指す。




台船の橋げたのチェーンブロックを操作する男の子。そして、お客さんにお菓子を売る少女。なかなか手ごわい。
同じ年頃か。

対岸にはお土産物売りの少女が手ぐすねを引いて待つ。世界遺産の風物詩。


メコンの渡し場につく。
台船は6台あって、順にでていく。車が脱輪する事故はよくあるそうだが、何年か前に台船が沈没する事故もあったそうだ。時刻表や車運送料の定価はない。満車になったら出港する。たくさん乗れば安くなるし、急げというと高くなる。交渉だ。人は無料。行きは車満載で30万kip、帰りは50万kipだった。しっかり足元見てる。

川を渡るとまず、5〜10世紀の城壁に囲まれた古代都市の遺跡がある。発掘したトングリスが裏話もまじえて説明してくれる。現在、この遺跡を迂回して大規模な道路工事が行われている。パクセーから陸路でワットプーに来る道である。一昨年40kmを2時間かけて走った道である。いまのほうが人が過剰にこないのでいいと思うが、この道ができるとどうなるのだろう。世界遺産公害にならなければいいが。

ワットプー博物館(日本の支援)にあいさつし、公園前で昼食。現在、建造物を修理しているのはインド隊、フランス隊、イタリア隊の3チーム。それぞれテーブルで昼飯をたべている。博物館の出土品整理にはフランス・パリ大からギィヨム君、オーストラリア大からネオ君(もう6年もラオス・タイにいるらしい)が参加している。国際的だ。博物館のバックヤードで出土した土器や石造仏をみせてもらう。

今回は明るいうちに石切り場をみるのが目的だった。本堂に登る途中で、イタリア隊の現場を見学させてもらう。イタリア人の院生とタイ人のトンサイさんが基壇と建築の関係を説明してくれる。

本堂背後は巨大な岩盤で転石が転がる。割り付け線のある石材。点状の矢穴列をほったもの。断面三角の矢場取り溝をほったもの。この矢場取り溝の底に列点状に矢穴をあけたもの。さまざまな作業段階ものが点在している。
ワニの彫りこみ(いけにえを備えた…?)や象のレリーフ、階段や建築材の半製品もころがっている。石切りの作業場を彷彿とさせる現場がそのまま残されている。

最初で最後の休日は、こうやってあっという間に過ぎて行った。

沈下した石材を元に戻すため、発掘して基礎構造を確認中。フランス隊の門の修理でも発掘して遺構が露出していたが、考古学的な調査はどれほど行われているのだろう?
これらの修理はみな建築の専門家が行う。日本でも10年前までは石垣修理は建築・土木の専門家がやっていて、考古学的調査が組み込まれたのはそう古いことではない。ここでは修理現場が公開されているのがいい。一応、柵では囲まれているが。

左から二つ目の山の頂上にある突起がリンガ(男根、シヴァ神)。Lingaparuata プーカオ山だ。
背後の山を御神体にワット・プーは作られた。







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