C村へはアッタプーの町からダートを40分ほど走ると着く。背後にはプールアン(ビッグマウンテンの意)という神々しい山がそびえる。かつては山のふもとに村があったが、1969年に今の場所に移ったという。村は豊かな森に支えられ、土器作りの技術もこの森と深い関係がある。
村に入ると高床の籾倉に土器が並ぶのが見える。水甕も現役だ。
いつものように、地図作りが始まった。ここも番地がないので、木炭で一軒一軒、入口に仮番号を書き、地図と照合できるようにする。2班に分かれ、1日かけて大まかな地図が出来上がった。私とNAMの班には村長がついて回ってくれた。もう1班にはカンパソーンという青年がついてくれた。Oi語とラオ語の通訳もかねて。
村長Pさん(42)によれば、ポターはいま60人ぐらいいるそうだ。3年前、アメリカの人類学者レファートさんたちが来てからなぜか増えたという。土器は自ら売りにも歩いたが、もっぱら外から買いに来た。S村の人たちが丸木船にのってこの辺りまで売りに来るのと比べると、販売にはそれほど熱心ではない。自給的な側面の強い土器作りだ。S村とは直線で60kmほど。
土器を作るのはS村と同じく3〜5月の2か月余り。5月に雨が降りだすと田んぼをやる。耕運機はなく、耕作には水牛が活躍する。村には人と同じぐらい水牛がいる。役牛であり財産でもある。田圃は151ha。すべて直播きで、コメはカオチャオ(うるち米)が90%以上。カオニャオ(もち米)がほしい時はラオのP村で交換するよ。
電気はこのあたりは来ていない。学校のまわりの県道沿いにはあるよ。
土鍋(モーフンカオ)がアルミ鍋に変わったのは1980年ごろから。モーヌンカオアルミニウムはラオ酒作るとき使うよ。もち米を蒸すのに。土鍋は田んぼで今でも使う。土鍋ご飯の方がおいしいから(アルミ鍋は盗まれる恐れがあるからか)。
乾季はかつては薪とりを生業にしていたが、いまではベトナム民間資本が経営するパクソーンのコーヒー園、アッタプーのパラゴムノキ(車のタイヤなどになる天然ゴムを採取)のプランテーションに家族そろって出稼ぎに行くそうだ。もう50人ほど行ったよ。確かに空き家になっているところもある。プランテーション行き出したのは5年前から。
村長は7人の子供がいてその世話で出稼ぎにいけない。この二日後に今度は娘に子供ができた。
ベトナム戦争後にスプーン、ラオのソムタムやラープが入ってきたがそれまではカオチャオを手食していたという。明らかに食文化が違っている。
野焼きは広さ10?、深さ1mもあるような大きな穴の中でやる。燃料は木の皮だ。上には藁をかける。マイボッ(ク)とマイ・プアイだよ。森の中からとってくるよ。ナクラダオとおなじ。1人〜数人分まとめて焼く。夕方火を付けて朝取る。土器は200個ぐらい入るんじゃないの。
夜、徳ちゃんが合流。ルアンパバンからパクセーへ来て、そこからバスで5時間かけてやってきた。 手押しポンプは1999年3月にできた。それまでは川の水を汲んでいた。昔は飲料水は水田にあった大きな素掘り井戸だったが、今はコンクリート製の枠のある井戸が村はずれにある。
年寄りは壷を頭に乗せて運ぶが、今の若い子はバケツに汲んで天秤棒マイ・カーンで運ぶよ、とAさん。山のふもとに住んでいた時もこの場所に水を汲みに来ていたよ。
村長んちの子犬。兄弟の中で一番痩せていて、歩き方もヨチヨチしている。人恋しくてだれかの足元にいることが多いが、たまに踏まれて痛い目にあう。村長の息子にさりげなく寄り添う。
この「たいまつ」ガボーンは村の特産品で、1年中作っている。パラゴムノキ(国有林)の枝のチップとバイ・ポーの葉を混ぜて、バイ・トンコン(の葉っぱ)で包む。1日5時間つけて、1週間持つという。1本5,000kip(50円)だ。
電気がくるといらなくなってしまうのだろうか。