この日は炎天下で土鍋調理をし、いい汗をかいてから、静寂の本山慈恩寺に向かった。
慈恩寺は山寺立石寺とともに東北を代表する名刹である。
慈恩寺修験の総本山で、阿弥陀如来坐像(釈迦如来)をはじめとする院政期の仏像群は質量とも国内屈指の内容を誇る。
建造物や無形文化財(林家舞楽)にも国指定があるほか、文書など貴重な歴史資料が山積みである。言わずと知れた歴史遺産の宝庫である。
寒河江市は、これまで慈恩寺修験の実態解明と新たな価値付けにむけて地道に調査に取り組んできた。
近年史跡としての保存対策が遅れているとして、楯跡や行場(三業など)の調査も行い、その全体像が少しづつ明らかにされている。現在は本堂をはじめとした慈恩寺の主要な部分のみが県指定となっているのみである。
ところが近年の調査で、院坊群の広がり、背後の尾山(御山)の修行堂、四か所の楯跡(逃げ城)、宗教都市を支えた町屋・手工業集落など、想像を超える規模で遺跡が残っていることが判明しつつある。
さらに階段状をなす院坊集落の文化的景観や建築にも見るべきものがあり、道具類をはじめとした有形文化財や、坊の主人らによる修行習俗の継承など無形文化財もよく残っていることが地元研究者の調査で分かってきた。
言葉は悪いが、昔風にいうと「文化財の総合デパート」とはまさにここのことではないか。
今日はあまりに巨大な遺産を目の当たりにし、しばし茫然自失…。「慈恩寺修験の里」はおそらく世代を超えて新たな発見と価値付けがなされ、継承されていくであろう。それぞれの時代でその知恵が試され、文化遺産とともにある生き方が問われていくのではないか。