今日、仙台市博で「東日本大震災による城郭の被災」(第6回北日本近世城郭検討会)がひらかれた。
3.11の本震、4.7、4.11の余震により福島県、宮城県の近世城郭は石垣を中心に大きな被害を受けた。今後、どう復旧していくか、現存する石垣をどう保全していくか。議論の前提となる情報を共有し、問題点を整理するために文化財、土木工学、技能者、コンサル、まちづくり関係者、市民が集まった。
地震動(加速度・時間・周期)で石垣が崩壊、変形するメカニズムは、あれこれ理由があげられるが、どうも単純ではないらしい。各城郭ごとにこれからの調査で明らかにされて行くはずだ。
各地の事例発表を聞いていて感じたのは、石垣は裏栗石や背面地盤、基礎地盤も含めた「柔構造」物だということ。全体で揺れを吸収し、崩壊に耐える。五重塔の建築にも通じる。どこかを重点的に強化しようとすると、かえって全体のバランスを崩したり、異素材の結合部を簡略化するとそれらの「縁」を切ってしまい、ズレやひずみが生じてしまう場合がある。最近のビル建築も剛構造から、免震、制震の柔構造に転換している。
石垣には寿命がある。若い石垣は地震によく動くが振動を吸収する体力がある。しかし、たびたびの振動や風雪に耐えてきた老年の石垣は柔軟性に欠ける。大きな地震で大けがを負った石垣やもともと不健康で成人病を患う石垣もある。そしていつか崩壊する。
私たちはまだ寿命や健康状態を適切に診断するすべを持たない。今回の被災石垣はそのことの必要性を強く訴えかけている。
ところで我々は「石垣」の価値をどうとらえ、何を後世に伝えようとするのか。あたらためてそれが問われている。
?石垣遺構を残すこと、?石垣積みという土木技術(近世的な空石積み、石や土に対する自然知)、技能者を残すこと、?石垣のある景観を残すこと、?伝統的な石積みのあるまちなみや暮らしが良いと思う価値観を醸成し伝えること
こんなところだろうか・・・・・
?は史跡としての歴史的価値。現状保存が望ましい。できるだけ解体しないで「本物」あるいは「現物」を残したい。
?は無形の価値で、時代とともに変化してきた。城石垣の技術は文禄・慶長〜寛永期に一定の完成をみ、その後、時代とともに変容してきた。城の機能が変わった明治時代以降は、近代工法が導入され現在に至る。
石垣の保存には技能者そのものの継承、生計基盤の確立が不可欠だ。解体修理事業や?はその役割を果たすだろう。
史跡の石垣の修復は近代工法を駆使した崩れない「石垣」をつくることではなさそうだ。現代の我々が後世に伝えるべき(「歴史遺産としての」)技術とは何なのか。?を優先するとこの議論はおろそかになりやすい。強度、安全とのはざまでそのことをしっかり問わないといけないように思う。でないと、土木技術者にとって現代的な意味で擁壁として機能しない「石垣」は価値の無いものとなってしまうだろう。
石垣は崩壊してしまうと?の価値が一気に失われる。傷んだ石垣を放置すると、そういう目にあう。そのために診断と現況記録の必要性がようやく認識されてきた。
かといって安全・強度といって次から次から解体修理していくと平成の石垣ばかりで「本物」は無くなってしまう。?を重視するとそうなりかねない。
余談だが、崩れそうな石垣を新たな石垣(ハバキ石垣という伝統工法もあるが)や土で埋め込んでしまうと石垣は保存されるかもしれないが、本来の遺構プランや景観が損なわれてしまう。
一方で空積みの「石垣」は崩れるものだという認識を失ってはいけない。江戸や明治の技能者たちは崩れない石垣を目指して施工する一方、どこかでその限界を知っていたと思う。
崩れる石垣と共存していくというスタンス。過剰なまでに崩れない石垣を希求する姿勢、近代土木技術への盲信はその危険性への認識を薄め、そのメンテナンス意識や距離感(園路整備・防災)を狂わせかねない。「想定外の災害」むなしい言葉だ。
自然へ畏敬の念を失わず、自然災害と共存できる暮らし。石や土(木火土金水・日月−陰陽五行)と身体がリアルに向き合う技術。津波堤防や原発の安全神話崩壊に接し、我々が先人の暮らしぶりから学んだことの一つだろう。