歴史遺産学科

歴史/考古/民俗・人類
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2013-06-17

6月の高畠石

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前日までの雨はどこへやら。まちあるき晴れのジンクスは今年も健在。

あたらしく1年生が参加し、各学年と卒業生がそろった。昨年から参加している2年生は班リーダーに昇格し、自ら質問し、聞き取りシートも記入するようになった。

 

夏の暑い日も、冬の木枯らしの日も、ただひたすら石の写真を撮り、寸法を測るという単調な作業の繰り返し、先輩のかげで石の話に聞き耳をたてていた去年までと、いまは全く違う世界が見えているのはないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

ともあれ、今回はフレッシュな顔ぶれがそろったことでチーム全体が明るくなった。不思議なもので、それはお話をしてくれる住民の側にも伝わる。

 

昨年土地を買って引っ越してきたHさん(昭和33年生)。奥さんの生家はお向かいの隣の家。したがって40年ぐらい前のこの辺りの景色を鮮明に覚えている。「ここに柿の木があって、その根元に屋敷明神があったよ」と。「その藪の向こうに祠があるから、行ってごらん」「むかしは石塀はなくてみんなウコギ垣だったよ」「ほら、まだそこはウコギだよ」

ウコギと言われても学生たちはピンとこない。怪訝そうな顔をしていると、傍に行って新芽を摘んでくれて「てんぷらにして食べな!」 見て、触って、食べて・・・・

 

お向かいのうちの小屋には昔「お菓子を焼く窯があったよ」。Kさん家を訪ねてみると、裏にはに窯を解体した石材が土留めに使われていた。家人のばあさんに訪ねると、焼きまんじゅうを焼いて滝沢屋に納めていたんだよと。

そこにはアーチ形の石橋があって、冬は坂でソリをしたわ。そこにあった分校は3つの集落の1~2年生が冬の間だけ通ったの。わたしが最後の生徒で翌年からはスクールバスで町に通うようになったと。ひとつひとつ子供時代の記憶をよみがえらせ、懐かしそうに案内してくれた。

 

山から柴を刈ってきてささげの蔓竿を削っていたSSさん(76歳)。中学2年のとき、沢福等から大きな石をリヤカーで引いてきて、ひとりで「なつ川」を彫った。近所の石切りATさんにツルを借りてほったさ。当時はどこの家にもあったし、買うとお金かかるからね。夏には川で雑魚をとってきた生かしておいたよ。ここには木を植えて魚が隠れられるようにしたんだ、と。4~5年はそうやって使ったよ。

 

別のSさん家でも魚の隠れ家がある「なつ川」に出会った。魚好きだった爺さんの弟(石工)がほったんだよ。いまでも夏になると毎年、水草と金魚を生けて観賞するよ、と奥さん。

そして奥さんがやってる床屋には最近、石工さんに頼んで作ってもらったという安山岩製の石鉢があった(写真)。中をみると水の中に金魚が「泳いで」いるではないか。さすがなつ川を現役で使っている人らしい・・・涼しげでいいですね、というと。ニヤリ・・・。金魚は偽物だった。だんなもだまされたというから、なかなかの代物である。

 

 

「なつ川」が何か、長年の疑問がひとつ解けた。米沢藩時代に始まった藩士の贅沢を慎む箱庭に淵源があることを2年生が調べてきた。なるほど…と思いつつ、やや脚色の匂いもするかな・・・・。いずれにしてもなつ川は近現代に新たな価値が付与され、土地の石工たちが山で彫り、住民たちが憧れて思い思いに使ってきた。庭と石を愛する心が根付き、夏の風物詩として小魚(金魚)を生けるという慣習が細々とではあるが続いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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