ウボン郊外に未知の土器づくり村があるとの情報でC村を訪ねた。
タイの大洪水はこの村も襲った。イサーンを流れる大河ムーン川が増水し周辺が水につかった。
ポターは10年ほど前までは3〜4人いたが、もう引退し誰も作っていないという。当時からのポターで生きているのはもう二人になった。75歳のG婆さんと85歳のC婆さんだ。
C婆さんは10月の水害で家の一階屋根まで水が来て、土器つくり道具はみな流されてしまったという。G婆さんちも1m50?ほど水につかった。小学校で避難生活をしていたそうだ。最後に作ったのは昨年の3〜4月。若いころは村で20人以上土器を作る人がいたらしい。なんとかヒアリングで土器つくりと野焼き技術の概要を知ることができた。彼女たちが作った土器は近所の人が持っているものが少数あるだけ。
またひとつ、長年伝えられてきた手わざが消えようとしている。自分たちにできるのはそれを記録し、伝えてきた人たちの声に耳を傾けること。
この村は現在、男性が参加するタオ(七輪)生産にシフトした。粘土がある地の利を生かし、もみ殻の覆いで焼くという野焼き技術を受け継ぎながら社会の変化に適応して自ら選択して変貌した。彼女たちの土器作りは消えても、その技術と知恵は確実に受け継がれている。