2月の4〜9日にかけて、我々、考古学ゼミ三年生は九州へのゼミ旅行へ行きました。その時の様子はゼミ生が分担してブログに掲載することになっており、今回の記事は二日目の午前。担当は二人目の村田です。
昨夜はもつ鍋を食べるために街へ出撃しましたが、この人数がいきなり全員入れる店は皆無で、腹をすかした状態で延々と歩くはめになり、くたくたになってホテルに帰りつきました。
しかし、一晩ぐっすりと眠れば完全回復。また、騒がしい道中が始まるのでした。若いってすごいですね。
二日目最初の見学場所は志賀島。博多湾と玄界灘の間あたりにある島で、かの有名な「漢委奴国王」と刻まれた金印が出土した場所です。出土した場所は、現在では金印公園なる場所に整備されていました。
公園に到着して間もなく、我々はバンッ!という、ものすごい音を聞きます。何事かと混乱する生徒たち。その様子を面白そうに眺めながら、「獅子脅しだ」と教授が言いました。
我々の脳内に浮かんだのは、竹でできた、水を動力にしてカコーンカコーンと音を出すあれ。こんな大きな音がするなんて、一体どれだけ巨大なんだ!
そんな我々の脳内をスキャンしたのか、教授は「馬鹿だな、爆竹音を使った獅子脅しだ」と一言。(馬鹿は言ってなかった気もするが…)
あ、なるほど。爆竹か。竹はあってたんだがなあ…
なお、例の金印は偽物だという説もあるそうです。教授いわく、本当に偽だったら一大事だから鑑定をしないんだとか。
志賀島をあとにした我々は、元寇防塁跡に向かいます。元寇防塁は総延長20?くらいありましたから、遺跡も複数存在します。我々が行ったのは、多分今津の長浜海岸にある防塁です。
多分というのは、覚えてないからです。そもそも、防塁は当日急に行くことになった場所ですから、事前調査もしてないのです。決して私は悪くない!
まあ、地図で地形や街並み、近辺の施設をしつこく参照したので間違いないと思います。
松林を歩いてゆくとフェンスに囲まれた場所が出現。その中が防塁です。写真の上部に比較対象となる人間が映っているので大きさは想像できるかと思います。
これを乗り越えるのは大変でしょう。当時の絵巻物なんかを見ると、低く見えますが、あれは防塁の上にいる人物を誇張して大きく描いているのです。
ここで、我々考古学ゼミの人間には馴染み深い物体が出現。写真右下に映っている、地面に突き刺さった棒。
これはピンポールといい、発掘や調査で使う便利アイテムのひとつです。ブルーシートを留めたり、大まかな長さを測ったり、地面の下に石がないか確かめたり、その活躍はまさしく三面六臂。赤と白の縞々というおしゃれなカラーも相まって、発掘道具のスーパースターともいうべき存在。
そのピンポールと遠く離れた九州で出会えたことは感激以外の何物でもない。友との再会はやはり感慨深いものである。
教授いわく、このピンポールは、ただ突っ立っているわけではなく、「ここに注目して!」という目印だとのこと。ピンポールのあたりを境に使われている石の種類が変わっているのだとか。さあ、みなさん。目を凝らしてよーく、見てみてください。
防塁の見学後、松林ということで私は松ぼっくりに松の葉を差し込んでヤマアラシを作って遊んでいたのですが、愉快に騒ぐ声を聞きそちらを向く。すると「喰らえ! てつはう!」などと叫んで松ぼっくりを投げ合っている皆の姿が。
平和(?)な笑い声が松林にこだまするのでした。
←元寇防塁跡見学の図(笑)
二日目午後へ To be continued!