朝5時30分。ドアをノックする音で目が覚めた。目覚ましをかけたが、2時間の時差があるのを忘れていた。日本時間のままだった。服だけ着てすぐに出発。あたりは真っ暗。
アッタプーまでの4時間、信号は一つもない。朝6時ごろ、道路はパクソーンのコーヒープランテーションで働く人たちの行列、さらに7時ごろになると通学する子供たちの大行列。延々続く。村には一つずつ小学校があるので通学時間は短い。だが、山間部では学校が近くにないのか、何時間もかけて歩いているようだった。
アッタプーで先発隊と合流。今回はラオス・タイ人4名と日本人4名の混成部隊だ。例年20代の女性アシスタントが3〜4名いるのだが、今回はゼロ。逆に60歳以上が3名、50歳以上が3名と高齢者部隊となった。
11時、C村につく。O語を話す少数民族の村。1年ぶりの懐かしい顔がみえてほっとする。この村は3〜4月の1か月しか土器を作らない。今日がその初日なのだ。
大きなマンゴーの木の下で、女たちは土器作り用の粘土を搗いていた。はじめて目にする技法だった。カーリングのストーンみたいな粘土塊を原形とし、中から粘土を掘り取って、縁に積み上げいく。
やたらと成形段階が多い。不必要と思えるような動作を何度も繰り返す。最後は濡れ布でペチペチと土器を叩く・・・・まるでおまじないのようだ。
先発隊の調べによると、この村では40名ほどポターがいるらしいが、年間製作個数20個未満の人がほとんどだという。
水甕モーエンナム、種もみ貯蔵容器、ハイ(どぶろく)を作る壷、炊飯用土鍋(蓋付き、儀礼用)などをつくっている。
現在は自家消費のみで村外に販売はしていない。このような、なかば年中行事のお祭りのように行われている土器作り。このような環境でどんな技術的特徴をうかがうことができるのか。