朝からぬけるような青空、お昼ごろにはぐんぐん気温が上がった。なぜかしら、まちあるきの日は暑い。
今年度の高畠町歩きプロジェクトがはじまった。通算で第8回目を数える。今日は17軒のお宅をたずねた。
本日のトピックは念願の石風呂に出会ったこと。街道筋の新築のお宅だったので調査はあっさり終わるかと思いきや、裏庭は高畠石の宝庫だった。なかでも石風呂とその受け皿、洗い場の3点セットが完存していた。品質の良い製品で、保存状態も完璧。39年前まで使われていた。家人も思い入れがあって大切に保管していた。
じいさんいわく。狭い風呂に子供と一緒に入った。背中を石にこすり付けられてなかなかいいもんだったよ・・・と。ばあさんいわく。薪は焚きにくいし、なかなかお湯は沸かないし、すぐ冷める。いいもんじゃなかったね。おやじ(49歳)いわく。10歳までは入ったよ。カマドのところ(銅板)に触れると熱くていい思い出ないね・・・と。三者三様の想いを語ってくれた。じいさんは、むかしの女は飯炊きに風呂焚きにたいへんだったんだなぁ、とばあさんをいたわる言葉も。ススで家のなかが真っ黒になったとも。
風呂の水が焚き口に漏れしないように銅板の目地を石綿で埋めていたが、それ以前は蚕のくず糸を使ったとのこと。養蚕が盛んだったころをしのばせる話しだった。
祖父さんはむかし石工だった。農閑期を中心に沢福等山や瓜割山で働いた。いまでも石工道具を大切に保管している。石風呂は先々代が沢福等山の石で作ったものだという。自分は角石(1間×1尺2寸×8寸、300kg)を一日1本を切った。当時は1本500円だったよ。自分は数えたことないけど1本切るのに1,500回ツルを振るんだぜ。言葉の端々に石工としての誇りが感じられた。
お隣の家も、元石工のお宅だった。印象的だったのは学生アパートのユニットバスよりも小さな石風呂に対して、ここでみたのは巨大な「ナツカワ」だ。これは庭におく手水鉢みないなもの。大人二人が横になれるぐらいの大きな(長270?)バスタブだった。石工の意気込みが感じられる製品である。
このお宅の畑には、道路に面して角石を積上げた石塀がある。見事な「一二八(1間×1尺2寸×8寸)」の空積み石塀である。断面は微妙に湾曲して安定感と美しさがある。
4月の高畠石シンポジウムで遠藤さんが、角石をみるとお金に見えると言っていた。私も最近そんな気がしてくる。学生が即座に数えた。35万円が道端に・・・・。
裏の小屋の脇には大きな蕗(ふき)が群生していた。北海道でよくみる巨大な「かさ」を持つ蕗だ。その向こうには「くきたち」の黄色い花畑が広がり、借景には新緑の山々と青空。絵になる風景だ。ちなみに、くきたちは干して保存食にもするし、種を収穫したあとで、土に鋤き込むと肥やしにもなるそうだ。自然にやさしい菜っぱである。
高畠町はそんな風景や思想がいまに息づいている。高畠石を資源として持続的に利用することは、別になんでもないことだったのだろう。
夕方、集合場所に戻ると、日焼けで火照った体と乾いた喉を潤す、冷水とアイスクリームが用意されていた。事務局長の奥さん、ほんとうにいつもありがとうございます。
一息入れたあと、全員で本日の成果報告と総括を行った。
今日は昨年まで学生リーダーだった伊藤さんが参加してくれた。仕事の休日を利用しての参加で、後輩の指導に当たってくれた。ありがとう。さらに同期の森谷君も自転車で駆けつけてくれた・・・・。しかし、夕方戻ってきたときにはなぜか悲惨な姿に・・・・・。一寸先は闇!
心地よい疲れをのせてボクシーは大学を目指した。西の空には真赤な夕日が浮かんでいた。明日はいよいよ日食だ。