歴史遺産学科

歴史/考古/民俗・人類
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2012-07-25

水と高畠石−入川樋システム


 またしても晴れた。肌寒い一日という予報を裏切り、最高気温は30℃近くまで上がった。7月22日(日)第10回高畠まちあるき。
 今日は11名、2班に分かれて歩いた。このあたりは屋敷構えが立派でどのお宅にも石塀がある。二井宿街道でも高畠石利用の景観がよく残っている街並みの一つだ。
 私の班は1日かけて1軒のお宅を終わらせるのが精一杯だった。一つ一つの石を丹念に記録する作業を目の当たりにした御当主からは逆に気の毒がられる始末。

 今回印象的だったのは水と高畠石の関係。
二井宿街道沿いはかつて地下水が自噴する水の豊富な土地で、各家庭には河原石組の井戸があった。井戸側の上部は高畠石の切石4枚で組まれており、その有無やサイズ、組み方に違い(格式)がある。使われなくなって埋められたものも多いが、いまならまだみなさん場所を覚えている。
 最も興味深いのは、新田地区から流れてくる上有無川の水を、五百羅漢で有名な玉龍院の前から街道沿いに引き込み、集落の家々を順々に潤していることだ。これまでも街道沿いを西から東に上ってくる過程で、その痕跡や部分的に生きている水路を見てきた。しかし、今回のエリアでは残りがよくて当時の姿を今にとどめている。
 水路の側壁は角石の端材で積まれ、宅地に入るとその脇に一間四方ほどの方形の水溜めがあってここに水を引き込む。この水は循環し、再び水路に戻る。「入川樋(いりかど・いりがど)」である。ここで収穫した野菜などを洗う。側壁は間知石や角石を積むのが一般的だがHさんのお宅のように意匠に凝った乱切合積みの例もある。庭を流れてきた水路はさらに母屋に引き込まれ、屋内の水仕事に利用された。Hさん家では昭和30年代までは生きていて清流で顔を洗ったり、牛乳を冷やすなどしたという。屋内の入川樋はもう蓋をしてしまったが、現在でも豊富な水量が家の中を貫流し、隣のお宅に水をリレーしている。

 朝、Aさん宅の水溜めをのぞいてみた。水面にはアメンボ。澄んだ水の中にはハヤやメダカのような小魚が群れている。水辺に生えたアヤメの株には大小のトノサマガエルたち。これを狙って時々蛇が来るという。隣の小屋の板壁にはオニヤンマとみられる大きなヤゴの抜け殻がいくつもあった。ちいさなビオトープだ。夕方調査に訪ねると水路で冷やしたお茶をみなに振舞ってくれた。鉢植えしてあるブルーベリーの実もほおばらせていただいた。
 住宅内の入川樋は上水道の普及とともに衰退したようであるが、水路系と屋外の水溜はまだその利用価値を保っている。集落の道路沿いには、より大きな水溜として防火用水が設置されており、これも「入川樋システム」の中に組み込まれている。

 豊富な水資源を、土地の生業と関わらせながら有効に利用してきた暮らしが垣間見える。私たちの生活はより良い暮らしを求めてこれからも変化する。しかし、「入川樋システム」には、土地固有の資源をうまく組み合わせた技術、その多機能性、生活の身近に水辺空間がある景観、自然と親しみこれを大切なものと感じる精神性など、継承すべき価値がたくさんあると思う。
 また一つ大切な宝物を発見させていただいた。







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