歴史遺産学科

歴史/考古/民俗・人類
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2012-11-30

湯取り法による土鍋炊飯


朝から学生たちと天童市西沼田遺跡公園に出かけ、土器鍋による炊飯の実験を行ってきました。サポーターズネットワークの皆さま、ご協力ありがとうございました。

復元建物には灰を敷いた囲炉裏が設置されており、実験にはこの施設を利用させていただきました。
湯取り法(熾き上蒸らし)によるスス・コゲパターンを把握するのが目的です。

灰は保温性があり、火の付きや熾きの保存がよいことを実感しました。そして、いつもながら薪や火を扱うことの難しさよ・・・

しばらく忘れていましたが、私が子供のころには囲炉裏や火消し壷は現役でした。実家の隣の家にはまだ「灰小屋」が残っています。現在も、あく抜きなど一部に灰の利用が残っていますが、かつては暮らしや生業の多様な場面で使われていたものです。灰の効能を改めて実感した一日でした。

蒸らしの間に、先輩が差し入れてくれた餅を焼く

たっぷりのお湯で煮る、そして湯をとる

今日の西沼田

2012-11-28

第13回高畠まちあるき

こんにちは、あとです。
今回は11月に行われたまちあるきの様子をお届けします。
今年もすでに6回を数え、全体では13回目となる今回は、10月の時点で調査を完了できなかったお宅からの調査となりました。

冷たい風と雨が吹きつける中の調査でしたが、それでも負けずに石との会話をします!ですが、途中で雨が白いものに変わり、思わぬ初雪との遭遇になってしまったりも。寒さ対策はしてきたはずなのにそれ以上の寒さと戦いつつでした。

Uさんのお宅は、今回で3回目、以前のまちあるき集中作戦から引き続きの調査でした。こちらのお宅では、奥様が煎茶の先生をなさっているということもあり、とても多くの石と出会うこととなりました!その中でも一番印象に残るのが、石と木を組み合わせた特徴的な石塀と、裏門です。

二井宿街道沿いの、お宅の前面側は石塀の高さが170cm弱といったところ。それだけでも十分圧倒されるものであったのですが、お話を伺えば、ここは道路整備が行われており、元々はもっと高さがあったとのこと。設置された当時はどのような姿だったのだろう・・・と思いつつ調査を進めることに。

そしてそのまま裏手に回ったところ、圧倒!
同じ石塀が200cmはゆうに超えているだろう高さで立っていました!一番上の傘石も見上げなければならないほどの立派なつくりとなっています。この石塀がこのまま前面まで回っていた頃は、ここはどのような風景だったのだろう・・・と、思い起こさせる良い出会いでした。

また、その石塀の角には石同士が広がって崩れてしまわないよう重しが乗せられていたり、裏手の通路から池へ進む階段は建物の犬走りと同じ石で繋がっていたりと、細かいところに石に対する気遣いと石工さんの技術を感じられるものとなっていました。

調査が終われば二井宿街道をさらに東へ。こちらではかつて流れていたであろう水路や井戸のお話や、池の中に祠を作り祀っていたという水神様のお話など、大変興味深いお話もお聞きすることが出来ました。
そして、身の回りに石を使っているという言葉がよく聞かれ、住民の方々に石がどれだけ身近にあるということを感じさせる機会となりました。

次回は12月2日。今年は最後のまちあるきとなります。
雪が降らないことを祈りつつ、また新たな出会いにわくわくしながら調査へと向かいます。もちろん参加者歓迎中です。

以上、あとがお送りしました!



2012-11-28

今年最後の踏査


 前回とは学生のメンバーも少し入れ替わり7名に増え、場所も変わって南野遺跡と新庄市北部の踏査に行ってきました。

 南野遺跡は1974年に新庄市教育委員会によって予備発掘調査が行われています。東山系のナイフ形石器が多数出土した学史的な遺跡として知られています。そこで報告書と地形図を頼りに、南野遺跡の調査区の特定と遺跡の広がりを確認することを目的とした今年2度目の分布調査を行いました。

土に足を取られながらも黙々と畑の地表面を調べていきます。すると「これ石器じゃないですか?」という声が色々な場所から。今回初めて参加した人も大きな石器を見つけたり、取り上げ作業中でも数歩進んだらまた石器が出たり。旧調査区の北域にも旧石器が散布していることが予測できました。

午後、南野遺跡北側の丘陵一帯も全員で歩いてみました。平坦面が多く、有望な地形面を見つけることができましたが、雑木に覆われ、表面採集できる場所はほとんどありませんでした。それでも側溝などをくまなく観察しましたが、明確な遺物は見つかりませんでした。

その後は、20分程ドライブ。遺跡台帳に登録されている未調査の場所をターゲットに丘陵を歩くのが目的です。もう夕方に近かったため、みんなちょっと疲れ気味でしたが、頑張って目を凝らして畑を探しました。年代が特定できるような多くの資料をみつけることはできませんでしたが、だんだん石器の見分けがついてきた2年生から発見の声がちらほらと。

時間も時間で歩けた場所はほんの僅かとなり、来年度以降に調査の課題を残すことになりましたが、未踏の地で考古資料を探すというのは、ワクワクする経験でした。

 帰りはみんなでラーメンを食べて学校へ。三年生は今後が楽しみだ、などと話しながら取り上げた遺物の洗浄をしてから、帰宅の途につきました。

2012-11-26

初冬の川歩き


岸には雪がちらちら。
学生たちに負けじと、初冬の川を歩いた。

宮城県境にちかい尾花沢市の宮沢地区に「登録有形文化財」中沢川砂防堰堤群がある。堰堤は練り積み、付随する水敲きと護岸は空石積みである(水敲き1箇所はコンクリ)。

大正2年の大水害を契機とし、同5年(1916)に山形県初の砂防事業として整備された4つの堰堤と護岸石垣群である。地元中刈の名士大貫常蔵が尽力し、足掛け5年かけて事業が完了した(三浦幹雄「宮沢地区公民館だより」)。現地には記念碑がたてられ、下流の農業用水の取水口もあることから、地区の人々により大切に守られてきた。

近年、その一部が被災し、復旧工事が必要となっている。防災と文化財の保存をどう両立するか、知恵が問われている。

今回崩落によってはじめて堰堤の内部、護岸石垣の背面構造(胴には木端石、背面には栗石)が明らかとなった。近世後期以来の在来石積み技術と、外国の砂防技術を導入した近代土木技術がミックスして作られた構造物。登録された構造物以外にも河床に段差を設けるなど、自然と調和した造作もあるように感じた。





2012-11-26

週末の岩石採集


大江町の左沢にある、月布川に岩石採集へ行ってきました。考古学基礎演習2の授業の延長として、1年生が乗り気で長井先生と総勢13名という多少賑やかな人数で行くことになった。

 月布川は先生がまだ山形に赴任する前に通っていたという、この地域の川は石器に使われる頁岩が豊富に採取できる川として全国でも恵まれた地域であり、今回はその月布川の中流域をポイントに頁岩を観察していくことに。

実際、川に出てみると雨で水位が少し上昇しており、皆氷水のように冷えた川に飛び込み、「寒い、寒い!」と言いながらも良質な頁岩に感動していた。
サンダルで来た人は発狂していましたが・・・そして、みんな思い思いの頁岩を先生に持ってきて、特別に先生が石を割って実演してくれるなど1年生は今回で得た経験は非常に大きいものだと思います。
岩石採集では全員がフィールワークの調査する側としてのモラルを守り、川の自然環境と地域の人とのコミュニケーションに細心の注意を払って、今回の採集に取り組むことができた。石の採取は最小限にした。そしてお昼にみんなでおいしい蕎麦を食べ、岩石採集が終了した後には近くの柳川温泉にみんなで入り、寒さで体力が奪われた体を十分に癒してくれました。
温泉の効果で気力全回復したのか、みんな疲れているのに関わらず帰りの車では、大学に着くまでCDでカラオケ大会が始まり、終始賑やかなままで終えることができました。あと、温泉場で仲良くなった大江町の方が今回の我々の活動を来月、町の広報誌に載せて下さることになりましたので、時間がある方は是非確認してください!

2012-11-24

今日の慈恩寺


ひんやり冷えた空気に身が引き締まる。
今日も本堂裏の経堂跡の測量をした。

夏に3日間ほど古墳の測量をした1年生たち。現場に着くなり、さっさと準備し、すぐに作業にかかった。おぼえが早いのにびっくり。

お昼は暖房のきいた寺務所でそばとラーメンを食べ、玉こんをサービスしてもらった。帰りがけにもあったかいカフェオレと菓子をいただく。

世界平和と先祖供養、自身の大願成就のために3つの鐘をついた。



2012-11-23

慈恩寺経堂跡の測量


寒河江の慈恩寺といえば、重要文化財になっている本堂や仏像群が有名ですが、本堂背後の斜面にはかつてのにぎわいを彷彿とさせるたくさんの堂舎の跡があります。

これらを保存し整備するために、基礎資料として測量図が必要となります。
今日から小雨降るなか学生たちと測量作業を開始しました。

まずは「経堂跡」と「弘法大師堂跡」からです。慈恩寺には江戸時代や明治時代の絵図が残っており、これらから往時の堂舎の名前がわかります。

お昼は東光坊のそば。おまけのおかずの味とボリュームににっこり。帰りはチェリーランドの2色アイスで〆。

2012-11-19

週末の分布調査


長井先生と学生5名で高畠町と小国町の遺跡分布調査に行ってきました。
まずは日向洞窟へ。4つ洞窟があるはずだ!ということで洞窟探し。
草をかきわけ岩を登って埋まっているのを発見!
洞窟を表現しつつ岩の上で記念撮影をしました。

その後は遺跡の広がりを確認することを目的として、遺物の地表面採集をしました。畑を荒らさぬよう慎重に地面を眺めて歩きます。さりげなく落ちている石器を先生は次々と見つけていきます。さらにほかの人も次々とみつけ始めます。私だけ見つからない・・・とちょっとへこみかけた頃に私も発見!!とても嬉しかったです!

午後は小国町の平林遺跡へ。ここは1961年に発掘をされており、その発掘した場所を探すことを目的に来ました。報告書と地形図を頼りに、あぜ道を走り、用水路をこえて、薮の中を突っ切り到着しました。
早速発掘場所を特定しようとするも手掛かりが少なすぎてなんとなくしかわからず・・・。
近くにいた地元の方々に色々な話を聞いてみました。すると、調査後に土地区画であぜ道が変わっていたことなど、貴重な情報を得ることができました。その他、いつくかの手掛かりから当時の調査区が凡そ推定できたことは大きな成果でした。

移動中、寝てしまってすみませんでした。でも楽しく一日調査できました!
機会があったらまた行きたいです!

2012-11-16

先週の佐藤ゼミ



こんにちは、佐藤ゼミのトマトです。
とても遅くなりましたが、先週の佐藤ゼミの様子をお届けします。
実は昨日が今週のはっぴょ(ごにょごにょ)

気を取り直して、先週はパーカーさんと私の番でした。
パーカーさんの発表は「源義経」について。
義経と兄・頼朝の対面から、頼朝と対立し、藤原秀衡を頼り奥州を目指すまでを、『吾妻鏡』を使いながら見ました。個人的に義経は好きなので、聞いていて面白かったです。吾妻鏡をスラスラと読んでいくので、すごいなと思いながら聞いてました。

私は「日記からみる牛車の使用」ということで、『蜻蛉日記』『枕草子』『紫式部日記』『更級日記』の4つから牛車をみてみました。植物を使って牛車を装飾したり、対照的に金色の金具で装飾していたり、牛車を舟に載せて川を渡ったり、などの様子がみえました。

あとは、フィールドワークの提出物の締め切りが近付いてきました。
B班は、拓本がやばいです。がんばろう…

では最後に『吾妻鏡』と牛車の図を載せて、終わります。

2012-11-07

佐藤ゼミのフィールドワーク特別演習 4日目

さぁ、まさかの2回連続のupとなりました、stagでございます。
まぁ、単に私のupが遅れただけなのですが…。

午前中は、太子堂などに向かいました。2,3日目と同じように拓本を取ったり、調査票を書いたりと、あまり変わりませんでした。

問題となったのは、午後です。各班分かれての作業となったのですが、我々の班は、月山神社に向かいました。
わずか3人での作業で、連日の疲れもあったのか、黙々と作業をこなしていきました。
それでも、その日一日では終わらせることはできませんでした。

4日目は、3日目のようなハプニングも起こることもなく、帰って来たのも、時間ギリギリ。そんな4日目なのでした。

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