12月28日
SL村と兄弟村のK村を訪ねる。ここも土器作りをやめてもう10年以上になる。
村の入り口で訪ねたお爺さんの家には4個の水甕モーウナムが並んでいた。みな死んだ母が作ったものだという。大事に使っている。
元ポターだというYさん(70歳)を訪ね、2階にあがって話を聞く。昔使った土器作り道具は大切に屋根裏(釣り天井)にしまってあった。叩き板や当て具は囲炉裏の煙で煤けている。驚いたのは当て具が木槌のような木製だったこと。これは珍しい。ほかに酒がこぼれないよう指で押さえて飲む角杯型容器もあった。回転台もちゃんと保管してある。自分がポターだったことを確認するように、道具はその証なのだ。
この辺の村では女の子は小さいころまず織物を習うよ。アメリカ人の人類学者レファートさんが来た時、撮っててくれた写真が壁に飾ってあった。あの時は現役だったさ。成形技法は道具と聞き取りからおおよそ分かった。南のサバンナケート地域と共通するようだ。
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午後から昨日のSL村を再訪する。
昨日の婆さんたちの所へ行くと、キンマを噛みながら当て具を作っていた。パユーンという油分がある硬い木を山刀で削っている。この村も形は違うが、当て具は木製である。年長のTさん(72歳)、次いでSoさん(63歳)、Shさん(62歳)。昔とった杵柄、楽しそうだ。しばらくすると「やっぱり疲れるわ」「年だね」と。そしてまた笑いが。
土器を作ることは彼女たちのアイデンティティーなのかもしれない。
帰りがけにあるお宅をみると、在地産とともに見慣れない水甕モーナムが見えた。よくよく聞くと、40年前(ベトナム戦争後)、ベトナム人がこの村に1カ月ほど滞在し、土器を作っていたという。当時、ベトナムはラオス人の職業訓練のために各地に技術者を派遣していたそうだ。モノは黙して語らないが、そんな政治や経済政策を反映してそこにあるのだ。
この正月はどこを走ってもお寺のタンブンと言って、村人が車を止める。2,000~5,000kipほど差し出すとにっこり笑って小さな飾りをくれる。徳を積めるなら幸いだ。あくまでもお布施。にっこり強盗とは言うまい・・・・。
タケークに戻り、NT村を探す。幹線道路から入る道がなかなかわからない。ようやく見つけダートを1時間走ると村へ入る細道にたどり着いた。もう日没で月が昇り始めた。
18:00暗くなってからようやく村に着いた。暗闇に異邦人が来たためちょっとした騒ぎに。やはりここも土器作りは6~8年前にもうやめたという。でも依頼があれば作るよ。というので年明けに出直してくることにした。