歴史遺産学科

歴史/考古/民俗・人類
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2013-01-14

ダートを走る大みそかの旅

12月31日

今日も風が吹いて寒い。7:30に宿を出発。今日は二つの村を探すミッション。

 

●DKC村

サワンナケートから東へ1時間半ほど走るとケンコーというチャンポーン郡の中心地に着く。ここからソンブリーを目指し、ダートを走るが車は思うように進まない。悪路と壊れた橋をやっとの思いで渡り、11:00にDKCという村を探しあてた。3年前にブッドンという桃源郷のような村に出会った時を彷彿とさせる所だった。

村長さんたちと村の中や田を歩きながら、生業である製塩や製材の話を聞く。田には塩の結晶が析出する。それから土器作りの準備(乾燥粘土を小割して天日に干す)をする女性たちの家々を見て回った。10世帯ほどが土器作りをしており、アクティブな村だった。しかし、当の女性たちがいない。聞くといまはタマリンドの収穫に忙しいらしい。チュアの野焼きがセットされているが、今日は強風で焼けないという。ブッドン村とよく似た作り方であるが、回転台が高い、亀板に竹の皮を使う、特殊な叩き板があるなど地域色がある。機織りをしていたTさん(70歳)らから土器作りの歴史や技法について話を聞いた。1975年(戦争の終わった年)、村は15軒。全部の家で土器を作っていたらしい。

 

 

●NLC村

また悪路を戻り、NLC村を探す。地図がないので聞いては走り、走っては聞く。不思議なのはみんなよく村の名前を知っていることだ。100kmぐらい離れた村でも道を教えてくれるし、そこまでの距離を言う。ラオスやタイの農村でいつも思うこと。日本ではありえない。

300軒以上の大きな村だった。10世帯ぐらいが陶器をつくっていたが、4~5年前に停止した。理由の一つはアリ塚に作る地下式の窖窯が水没によって毎年壊れるからだという。もう埋めてしまってみれないよ。残念である。ほかには粘土掘りがたいへん、薪探しが難しくなったなど。コスト負担を購入に頼らず、自ら廃絶の道を選択した格好だ。

訪ねたお宅には旦那さん(56歳)が作ったという陶器があった。夫婦二人で回転台に向き合って作る。驚いた。器種が豊富なのである。7器種ある。甕のエンは3法量あり、使い分けている。作りもいい。それぞれ用途を教えてもらう。器形と使い方の対応がよくわかる。多くの焼き物村は末期になると、売れる器種に生産が偏り、作りは雑になる。ここは全盛期のまま突然消えたような感がある。近々もう一度訪ねるだろうという予感。後ろ髪をひかれる思いで村を後にした。

 

夜はLAK35という13号線沿いの町の安宿に泊まる。3年前長期滞在したゲストハウス。毎晩、経営者のベトナム人ママさんと子供たち(息子はレディーボーイ)の料理を食べた。一家は今年、タイ側のムクダハンに遊びに行ったということで、会えなかった。したがって懐かしのママパットはお預け。宿は埃っぽい、お湯が出ない、水が出ない・・・・、相変わらずだ。寒い中、3人でわびしい年暮れを過ごした。

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