Cさん(57歳)の家で、旦那さんが野焼きの最中だった。モーケン100個を焼いている。そばには昨日焼いたモーエンナムが40個。カンタラロームのお店からの注文だそうだ。
イサーンでは土器を設置する際、地面から浮かせるために焼き台を用いる例が多い。多くは粘土を焼いた円柱・角柱の焼き台を用いるが、ここでは高さ10cmの壷形土器を専用に作り、倒立して用いる。今日はバナナの木を高さ10cmに輪切りにしたものを使っている。バナナは水分が多いので燃えることはない。以前、北タイで野焼き用覆い屋の柱にバナナの木の皮を巻き付けていた。火が直接あたっても柱が燃えることはなかった。
旦那さんは昔は野焼きする人が多くて、バナナの木が足りなかったが、今は少なくなったので使えるんだ、と説明してくれた。わかったような、わからないような・・・・
PS村は160軒ぐらいあり、土器を作るのは現在3世帯しかない。
たまたま通りかかった爺さん(72歳)曰く。この村の土器作りはダーンクウィアンからK村を経てここに来たんだよ。確かに言われたとおりである。
Cさん夫妻から粘土採掘~成形~販売についてヒアリング。土器作り道具を計測させてもらう。
卸値は水甕モーエンナムは50B、湯釜モーサオロー35B、鍋モーケン20B、小型鍋モーケンノイ(モーフン)15B。モーエンナムはK村よりちょっと高い。
イサーンではここ100年、このようにコラート周辺から農民が2次的、3次的に移住を繰り返すことで土器作り技術が拡散した。レファートさんたちが立てた仮説だ。それ以前の古いタイ・ラオ族の技術は一部地域に痕跡的にしか見ることができない。示唆に富んだ話だ。