早朝から中体連で賑わう霞城公園(山形城)を歩き、その足で重要文化財の文翔館(旧県庁)を訪ねました。あらためて建物の修理記録の映像を見ました。文化財修理に伝統技術は不可欠。伝統技術を伝えるために文化財修理の場は必要。自然と良好な関係を築いてきた伝統技術の技と知を次世代につなげていくことが大事です。学生たちもぜひ一度は見てください。
午後は元木と蔵王成沢の石鳥居(とも重文)、空清水の石切場を見学。金沢城の仲間を見送りました。
ちなみに前日は上山市楢下の新橋・覗橋(アーチ型の石造り橋)、江戸時代から続く山形市「石駒」の工場で戦前の石工道具を見学しました。近代の山形石工は江戸時代から続く信州高遠系の石工(信濃屋仁兵衛)と三島通庸とのかかわりが深い鹿児島系の石工が入っているようです。後者とアーチ橋(九州が本場)はどんな関係があるのでしょうか。