朝食をたべている店の前を学校に急ぐ子供たちの姿。自転車の列が途切れることはなかった。小さな町なのに・・・・人口拡大社会に暮らす子どもたちの多さよ。
8:30村に着く。早速土器作りの準備にかかる。まず、回転台に刺す心棒を削って土中に埋める。Kさん(62歳)がモーオという小型品を成形。Wさん(73歳)、Sさん(?歳)3人のお年寄りが伝統の技を最終工程までみせてくれた。今日はなぜか衣装が華やか???と思っていると理由がわかった。ほどなく中国人の団体が15人ほど見学に来た。いわゆるエスニック・ツアーらしい。そのために女性たちは民族衣装に着飾って作業しているというわけだ。工房は5組の夫婦がグループで援助を受けている。男のリーダーBさん(52歳)があわてて出て行った。彼らのためにお寺で伝統の剣舞を演じるそうだ。この村ではほかにパシーン(巻きスカート)用の布を織るグループもある。これら村の手仕事や民族芸能を政府が誘致する観光客に見せ、わずかではあるが商品を売って稼いでいる。午後からはファランの団体が来ており、工房にはたくさんの布が展示されていた。
一連の活動は少数民族の村が観光開発によって豊かになろうという観光局のEDB(Economic Development Board)プロジェクトによるものだった。住民たちの多くはトウモロコシやバナナのプランテーションで働き、外国人観光客の落とす金で経済的にはその恩恵を受けている。否応なく貨幣経済と情報社会に巻き込まれていく。若者たちとは別に戸惑っているようにみえるお年寄りの姿が印象的だった。僅か1日半ほどの滞在ではそれ以上のことはわからない。
午後から同じタイルー族の土器作り村-P村、NG村、NL村、X村の4村を訪ねる。聞き取りと土器や道具の調査をした。いずれも移住や分村の歴史で系統関係を持っている。かつて女性たちはみな土器を作っていたが、いずれも20~10年前に止めている。おばあちゃんたちはほとんどが経験者だ。牛や水牛が減って野焼き燃料の牛ふんが得られなくなったから止めたという共通の語り。
1970年代後半、ベトナム戦争・内戦が終わって道路が開通。安価な労働力と広大な土地を求め中国資本が入ってくる。舗装道路ができ農業開発が進んだ。山の焼畑や段丘上はゴム、トウモロコシ、バナナ園に、沖積地の天水田にはインゲンやスイカ、葉物野菜が広がる。自給的な暮らしは大きく変貌し、現在進行形でさらに景観を変えている。外からの目線で資源と労働の搾取と語ることは容易だ。ポターたちは昔の生活を懐かしそうに語る。その背後にどんな思いがあるのか…、村や家族で起こっている葛藤まで聞く時間はなかった。
NG村へ行く道は橋が落ちて車が通れない。通りかかったバイクを拾って行く。
古い村にはだいたい焼酎の蒸留用土器がある。使い方を教えてもらう。
Yor村ではさまざまな手仕事をみることができる。ふいごを使って日常的に刃物の手入れ。鍛冶場の遺構を彷彿とさせる。
まだ、脱穀していないトウモロコシを収納した倉庫。