歴史遺産学科

歴史/考古/民俗・人類
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2014-10-02

福島県棚倉城跡石垣調査

鶴岡市での発掘が終わるとすぐ、学生たち6人とともに福島県の南東部-棚倉町に出かけた。寛永2年に丹羽長重が築いた棚倉城跡というお城の石垣調査のためである。

 

9月8日~12日まで4泊5日。町教委のお世話で「棚倉田舎(でんしゃ)倶楽部」という温泉付のゴルフ場ロッジに泊まりながらの調査だった。我々にしては贅沢な、そんな宿とは裏腹に調査は毎朝8:30から夕方17:00まで、石垣の前に張り付いて1石1石、寸法を測り、加工範囲を記録し、岩石種を同定する。単調で孤独な作業の繰り返し。石の数は最終的に約2,000石にもなった。

 

 

 

石垣は中学校のグラウンドの上にある。中学校の教室からは我々は丸見えでいつも監視されているような感じだ。音楽室からはピアノの音と先生の澄んだ歌声が時折聞こえてくる。チャイムが鳴るたび授業が終わってざわつく生徒の声が石垣に跳ね返る。そんな環境での調査だった。

 

文化財の調査とは往々にしてこんな単調な作業の繰り返しだ。小さな調査記録の積み上げが最後は大きな成果に結びつく。集めたデータはこれから整理し、分析していくが、このような一連の作業をこれから卒論を書く2年生や3年生が体験できたことは幸せだったと思う。

 

最終日は久慈川の上流にいって石材環境調査をした。ハンミョウが飛び交う清流で、少年たちは虫を追い、石投げをし、そして童心に帰った。ここは分水嶺の町で久慈川は茨城県にぬけて太平洋にそそぐ。岩石も阿武隈山系と八溝山系では岩石種が大きく異なり、地質構造的に興味深い地域である。お城の石垣石をどこで採取したか。ここで観察記録したデータはこのことを考える材料となろう。

 

前の週までの発掘では毎日自炊だったが、ここではお昼と夜は外食。これをチャンスとばかりに土地の食べ物を食べ歩いた。そして、毎晩宿に帰る前にヨークに立ち寄った。定時に来る7人組の変な集団と思われたに違いない。最終日は町教委の人たちが懇親会をセットしてくれ夜中まで学生たちと語っていた。これからも「茶」や「香道」や「山城の縄張り調査」で交流が続くらしい。ありがたい経験をさせてもらった。

 

この調査、地元のNHK福島が取材してくれその日の夕方の「はまなかあいづ」で流れた。調査する学生たち5人が映像に登場したが1人だけ映らなかった。教訓は普段から身なりはきれいにしておこう、ということだ。また最終日には福島民報、民友などの地元紙も取材にきてくれた。学生たちの地道な調査が広く町民や県民に知られるところとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

部屋の窓の下はすぐグリーンだ。早朝からパット練習するゴルファー

 

 

石垣石の表面に残る虫の芸術

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