歴史遺産学科

歴史/考古/民俗・人類
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2015-01-18

もち米を煮る-湯取り法

12月27日(土)

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 今日は遅めの8時に出発。カオニャオ(もち米)にガイヤーンとソムタムを食べて腹ごしらえ。

DN村に隣接するDY村の副村長を訪ねる。元ポターだった85歳のおばあちゃんから昔の話を聞く。両村はひとつの集落のようにみえるが、ルーツをたどると、200年前にコラートからの移住者により始まった専業土器作り集団の村(50年前は22軒)と、在地のラオの農耕民の村と別々だった。現在、前者(DN村)は115軒、後者(DY村)は206軒に拡大した。行政的にも違う村として認識されている。このように二つの民族が隣接して集落を営み、融合あるいは入れ替わる例は先のロイエット県T村の例も同じである。
 8年前までDY村でも土器を作っていた。13年前、DN村と同じように工房が作られグループ10名が土器を作っていた。しかし、リーダーが亡くなるとみんな止めてしまったそうだ。DY村はもともと土器作り村ではなかったが、DN村から習ったという。40歳ごろ100軒あってみんな作っていたよ。一大土器作り村だったようだ。
 おばあちゃんの話で一つ腑に落ちたことがあった。イサーンでは昔からもち米を蒸して食べてきた。しかし、調理用鍋の組成には従来モーケンという汁物おかず用鍋のほかに炊飯用のモーフンという器種があった。なぜもち米なのに炊飯用があるの?と長い間疑問だった。もち米は炊飯しないと思い込んでいたのだ。もち米も炊く(湯取り法)んだよ。蒸らし方がちょっと違うけどね。世界の米品種やでんぷん(アミロース)組成は多様である。思い込みは怖い・・・・

 

 

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 午後からはウボン県のSY村とD村。副村長といつものポターの家を訪ねる。みんな昼下がりで昼寝をしているか、休日午後のキックボクシング中継に熱狂か。毎年必ず訪ねるD村のUさんちにいくと、珍しく作っていない。今年は雨が少なく収穫が遅かったのでまだ土器作りは始めていないよと。おとうさんはスカイラブですでに粘土を掘ってきて準備万端整っている。村はずれのゴムの木の植林畑を見に行く。植えた年から毎年定点観測している畑だ。収穫には5~6年かかるというのであと2年後か

それから、お寺を行って村の歴史を調べる。SY村は2380年(177年前)、D村は2414年に成立した。この二つの村の周辺5村ではかつてみな土器を作っていた。しかし、ここではコラートから来たという伝承がない。各世帯が広い農地を保有する兼業の村で、イサーンに通有の技術を持ちながら、土器作り道具に違いがある。ここにもラオ族とコラート族の技術の融合の匂いが。

 

 夜はウボンラチャタニーの定宿に泊まる。帰ってきた・・・という安ど感。

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