タイ最終日
朝、市内へ買い物に出た。OTOPshopで衣類や小物を、市場では木製クロック(すり鉢)やティップ・カオ(蒸し米を入れる容器)、ムアイ(竹製蒸し器)など調理・食事用具をお土産に買い、トゥク・トゥクに分乗してホテルに戻る。連日、大きな土器やへんなものを抱えて部屋に戻ってくる一団に、フロントのお姉さんたちの微笑みがあやしげ?でやさしい。各自部屋でパッキングしなおし、お姉さんたちに五本指靴下をプレゼントする。靴下をはく習慣がないタイのお嬢さんではあるが気に入ってくれたようだ。
ここからバンコクめがけて車中7時間の旅がはじまった。郊外のボラブーの道端でマンキャオ(ムンキャオ)という梨のような芋のような果物を食べる。畑でとれる根茎類なのだが、こっちでは果物に分類されている。繊維質でさっぱりしておいしい。物珍しそうに見てたら、おじさんは食えと。ありがとうございました。
23号線から2号線に出て、ポンという町で最後のイサーン料理。ソーセージ、ガイヤーン、ソムタム、ラープ、みんなおいしい。イサーン料理のとりこになってしまった。
おなかいっぱいでバンコクに向けて出発。途中、麻薬で捕まる車を横目に、午後3:00頃、コラート近郊まで戻ってきた。ここで13日に情報を得た土器づくり村を捜すことにした。オーさんの腕の見せ所だ。1時間ほど走りまわってついに見つける。ポターのお婆ちゃん(86歳現役)とそのお孫さんに土器作りや野焼きについてヒアリング。飛行機の時間が迫る中、ぎりぎりまで取材する。この村は、お婆ちゃんと妹さんが最後のポターで、やがて伝統が途絶える。お婆ちゃんの娘さんはずいぶん前に日本に行って結婚したそうだ。どこに住んでいるかは知らないと。10日のバンコク行き飛行機で隣の席に座った27歳のタイ人(北タイチェンライ出身)女性は、母が日本で再婚し(東北地方K市在住)、弟と妹は日本人だと話してくれた。恋しい母に会って故郷に帰る飛行機だった。デジカメ写真に楽しそうな母との再会写真が写っていた。偶然だったが同じような境遇の家族に遭遇した。
おばあちゃんたちに別れを告げ、2号線を南下、一路バンコクを目指す。あたりがうす暗くなる頃、ラム・タコーンダム湖がみえてきた。いよいよイサーンとお別れである。しばらくして山間部を抜けるとバンコク平原に出た。サラブリを抜け、さらに2時間ほど走ると都会の町明かりが見えてきた。8時前にタイ最後の夕食を済ませ、高速道路に乗って空港へ。途中、ちょっとしたハプニングがあったものの、9:50スワンナプームの美しいターミナルが見えてきた。タイの余韻に浸る暇もなく、オーさんに別れを告げ、出国手続きに。オーさんはこれからまた、7時間かけて夜どおしマハサラカムへ向けて走るそうだ。これで驚いてはいけない。仮眠のあと、またお客さんを乗せてバンコクにくるそうだ。おそるべし・・・
帰りの飛行機は座席テレビ付き。なんとなく得したような気分。配られたカステラケーキを食べ、ブランケットに身を包み、即寝る。