諏訪神社を管理なさっている沼沢さんにご挨拶した後にさっそく史料整理を開始しました。
学生たちの中の経験者は一関市博物館に参加した日本髪さんのみ。
その他のビギナーたちは竹原先生の先輩や後輩にあたる学外の方々からご指導頂くために数人のグループに分かれました。
私と島流しさんは東文研の中村さんといっしょに、浅立諏訪神社収蔵文書の中の「掛物」を、中性紙の袋に入れていく作業をしました。掛物には歴代天皇陵の図絵や幕末の浅立村の宗門改帳から村民分布を調べたものなど、興味深い文書がたくさんありました。
正午になると、隠れ蕎麦屋の里「さんご」にお昼を食べに向かいました。
実は、この蕎麦屋さん、午前中に由利十二党くんが数多の煩悩を打ち消さんばかりに撞いた神社の鐘を奉納した方の子孫のお店です。お店の外観はなかなか雰囲気のある日本家屋。空腹が相まって高まる期待。
店員さん「いらっしゃいませ〜。何名様ですか?」
我々「10名です」
店員さん「エッ」
思わぬ大人数に店員さんからびっくりされました。
おまけに、竹原先生の後輩にあたる外部の方の一人が、我々学生たちに馴染むあまりに存在を忘れられる悲劇。実際は11人です。ちゃんと全員無事に美味しくお蕎麦を食べました。