北野ゼミの旅行に同行した教員です。私からも番外編として少しだけ。
なぜ古文書ばかり読んでいる、しかも日本史の研究者がラオスに同行したの?と思うかもしれません。
それはラオスでは現在では想像しにくい、かつての日本の風景や暮らしが感じられると聞いたからです。
そんなラオスの村の生活にふれることができれば、古文書を読むうえで新しい視点や疑問が生まれるかもしれない。
ということで、せっかくの北野ゼミの旅行だったのですが部外者がお邪魔させてもらいました。
結果は、予想以上でした。いくつか写真とともに列記します。
残飯を食べる動物たち。牛もたくさん飼われています。動物と人間が共存する社会。そこには限りある資源を循環させながら効率よく生活する姿がみられます。江戸時代はエコな社会とも言われます。当時の身近な動物たちの役割が気になりました。
酒造りをみせてもらいました。明治時代の史料に「自家用酒」という言葉がたくさんでてきます。考えてみれば、どうやって作っていたのでしょう?今回の調査でイメージがつかめたので、日本の酒造と比較して村での個人の酒造りも調べてみたくなりました。
米を貯蔵している木櫃。1,500kgも入るそうです。竹で編んだ駕籠に土を塗ったものもありました。なかには籾と一緒に田の神様を象徴する葉(マーオ)も入れてありました。日本でも米を貯蔵していたはずですが、どのように貯蔵していたのでしょう?日本の古民家はいくつも見てきましたが、全く気にしたこともありませんでした。見聞の狭さを恥じつつ、視野が広がる喜びを感じました。
マーケットの風景。その賑やかさに圧倒されますが、これらの商品はどこから来たのでしょう?自家製なのか?どこかから買ってきたのか?後者であればどこから買ってきたのでしょう?山形の城下町には「十日町」や「七日町」など市日からとった町名が複数あり、毎日のように賑わっていたと説明されます。それでは、誰が何を売っていたのでしょう?市の風景、そのシステムもきちんと調べるとおもしろそうです。
ほんの数軒をまわっただけですが薬草が干されている家が複数ありました。家の入口に植物が挟まれていたので何かと聞くと、赤ちゃんを守る魔除けだそうです。点滴をつけてバイクを走らせる人ともすれ違いました。薬草・呪い・近代医療が同居する明治時代の医療との共通性もみつけられそうです。
このようなかたちで、日本の歴史を考える上での新たな疑問や視点がいくつも発見できました。
ラオスの村についても、日本の歴史についても興味はつきません。