長井市教育委員会主催、土器で古代の調理を体験するイベントが開催された。場所は縄文時代の遺跡公園の一画にある古代の丘資料館。縄文土器の野焼きと、縄文鍋、弥生の赤米炊飯、カマドによる古墳時代の米蒸し調理と、実に多彩な内容。館長さんをはじめ、スタッフの年齢もさまざまで愉しい催しだった。
資料館では縄文土器から戦国の内耳鍋まで、土器使用痕からみた料理の歴史が体系的に展示されている。さらに実験土器も展示して実物資料の痕跡との対比もなされている。本格的な展示で専門家にも見ごたえがある。
参加した小学3年生から6年生を前に、すす・こげと土鍋料理の歴史の話をした。大学でもこんなに体系的にしゃべったことはない。展示室での30分が子供たちの真剣な目と質問の嵐であっという間に過ぎ去った。
そして、自分たちが作った土器を持って子供たちが野焼き場にあつまる。まず、あぶりから始める。しばらくすると子供たちは林からトチノミやクリを拾ってきた。トチを食べたことがないというので、ちょっと齧ってみろ、と誘う。あまりの苦さに顔をゆがめ、吐き出す。ひとりが吐き出したのをみても、みんな順にかじってみる。子供は好奇心の塊だ。栗は渋皮を向いてカリカリ食べて満足げである。そしてトチは土器あぶりの火の中に投入。やがて、バーン!とはじけ飛ぶ。そして、またかじってみる。今度はあまり渋くない。なぜだろう?アクと熱の関係に気付くのだった。こんな子どもの体験的発想、気づきの瞬間に出合うとちょっとうれしくなる。
かまどで蒸したもち米はスタッフが餅について、ずんだ餡や小豆餡をのせてくれた。ほかに団子も蒸してくれた。
赤米は初めて使う土器だったせいか、水が足りず、パサパサに炊きあがった。手食しても、粘りがないので手に付かない。あまりおいしくないと思っていたら、なんとこれが子供たちには一番人気。コゲもあってお菓子感覚だったようだ。
野焼きの火が大きくなると、何人かは火あそびを始めた。棒の先についた火を聖火のように持って走ったり、チャンバラのようにしてみたり。家ではこんなことはさせてもらえないだろう。じっと火を見つめる子もいる。火と触れることが自然でなくなってしまった現代。
野焼きの火を前に地べたに座って、また子供たちに語りかけた。これも大学でいつも話している縄文・弥生の野焼きの話。こちらの問いかけへのつっこみ、反応が早い。
なんともいえず充実した一日だった。彼ら・彼女らの記憶に今日の火がちょっとでも残ってくれたら望外の幸せだ。
全身すすまみれ、火にあたった心地よい疲れを乗せて、新潟に車を飛ばした。最終のフェリーで佐渡にわたって、夜10時すぎ両津港についた。そこは雨。さて、あしたは?