なじら〜。、ともぞうとむらっちゃんです。
「なじら」は新潟弁で「こんにちは」的な意味らしいです。
今回は上越の埋蔵文化財センターにお邪魔して、山畑遺跡と津倉田遺跡の土器を調査してきました。
メンバーは、北野先生・4年生のアンジー先輩・2年生の獅子座の女・ともぞう・ゆっちゃん・むらっちゃんでした。
5日は18時半に山形を出発して、途中でアンジー先輩と合流し、先輩からお借りした「新潟弁講座」のCDを聞きながら爆笑しているうちに、上越に着きました。
6日から本格的に作業を開始しましたが、予想以上に土器が多く、自分達2年生は圧倒されてしまいました。圧倒されようとされなかろうと、作業は始めなければ終わりませぬ(汗)。早速津倉田遺跡の土器から取り掛かりました。
夕飯は高田の通りで食べようとしたのですが、如何せん、メンバーにツッコミがいない!!いつものツッコミ係あべちゃんは、今回参加しておりませぬので、ボケばかりのメンバーでは夕飯が決まらず、うろうろした挙句、ガストに落ち着きました。ツッコミ大事!
7日は津倉田遺跡の土器が終わり次第、山畑遺跡に移りました。山畑遺跡は兄弟土器(似ている土器)が数点あり、「きょ、兄弟(笑)」てなりました。
上越を去る前に、春日山城に皆で登りました。獅子座の女・ゆっちゃん・むらっちゃんは歩いて本丸まで行ったのに、他の3人は車で…。むらっちゃん曰く、「裏切られた気がした」そうです。本丸からは平野が一望でき、海も見え、ともぞう曰く「本丸からの眺めは最高ー!!」だそうです。
山畑遺跡・津倉田遺跡の土器は直置きが少なく、カマドがけが多かったように思いました。比較的容量が少ないものも、カマドにかけられていたのが特徴ではないかと思います。
次回はツッコミが欲しいなー…。
このプロジェクトのテーマは「環境・生業・技術に関する歴史動態的研究」。ある時代・ある地域の文化の特色を、自然と人、人と社会の関わりから読み解いていこうという試みです。
「スス・コゲ調査」は、土鍋の作り分けと使用痕の分析から、古代の鍋の組成や調理法(火処や料理)を復元し、その時間的変遷や地域的分布の様相を明らかにしていく地道な研究です。
参加してくれた学生はもう2度、3度と各地に出かけています。昼間はひたすら土器とにらめっこして図面を描きます。もう一人前の考古学者なみに使用痕を読み取れる学生もいます。でも何か忘れていませんか?
土地の自然と文化を肌で感じるためにわざわざ現地に来てるのです。
事前にどれだけ土地(上越市)の情報を調べてきたでしょうか。山形に帰ってからみてきた遺跡や町の様子をもう一度確認してみましたか。
ボクシーの車窓から、どんな景観を切り取ってきましたか。何を発見しましたか。春日山城の本丸からあなたは何を読み取ったのでしょうか。
そして、地域の気候や地形、植生、生業、産業、名産品、町並み、建築、歴史・・・なんでもいいからそれらの関係性について自分の頭で考えてみましたか。
高田の雁木通りを歩いて何に気付いたのでしょうか。なぜ、高田の街に雁木通りがよく残ったのか。近世城下町の町屋に由来する発生論的な見方と豪雪地帯という気候的な要因からの見方を紹介しました。ほかの面からも説明可能なのかもしれません。
直江津の地になぜ上杉の守護所がおかれたのか。春日山城のてっぺんから一望した日本海、頚城平野、北陸道と上信越道の分岐、北陸本線と信越本線の分岐、土地の生産力や交通の要衝にあることを納得しましたか。
いずれにしても、フィールドに出るということは、本物に出会い、驚き、問題や答えを発見することです。それは喜びとなり、また新たな出会いを渇望するようになります。そして、知りたいと願う気持ちが、調べるモチベーションを高めるのです。
これからは、「環境・生業・技術」のキーワードを唱えながら、どこに行ってきたかではなく、そこで何を発見したのかを問いましょう。それが歴史遺産学科で学ぶ上で不可欠な点です。これからの調査に期待しています。
そして、土地のものを食べるのにもっと貪欲になりましょう!夜の調査はとっても大事なんです。