上杉氏の春日山城に続いて能登畠山氏の居城、七尾城に行ってきました。春日山と直江津の府中、七尾城と七尾の府中、守護大名の都市計画の共通性がうかがわれます。
強い雨と、時折あられが降る北陸特有の初冬の天気のなか、山城の急斜面を手をつきながら登ったり降りたり。サバイバルな城歩きでした。
春日山城も七尾城も戦国期の城で「土の城」です。織豊系城郭は「石の城」=石垣、瓦、礎石建物がメルクマールです。防御機能の発達により、虎口(廓の入り口)の形態も変わっていきます。
山の「土の城」の宿命として、雨による斜面の崩落があります。両城とも大小の土砂崩れが頻発し、復旧工事が行われていました。南九州のシラスの山城は深刻ですが、ここ七尾城も例外ではありません。毎年、大雨のたびに史跡の各所で崩壊が起こります。400年あまり地域の人の手で伝えられてきた史跡を保全していくことは簡単ではありません。
七尾城は越後の上杉氏の攻略によって落城します。その後、織田勢の前田利家が入りますが、利家はわずか数年で七尾府中の小丸山城に移り、その後七尾城は廃城へと向かいます。
ところで七尾城は春日山城と違い、石垣が多数あります。主要な廓の斜面には段状の石垣があり、巨石を積んだ虎口もあるのです。また、特徴的なのは急斜面の各所に、小さな小段の石垣がたくさんみられることです。これら石垣群のなかではたして畠山家の時代にさかのぼるものがあるのか。問題です。
興味深いのは、小さな階段状の石垣が、谷の「みず道」となるところに重点的に整備されているのです。大雨の中、急斜面を歩いたことでそのことに気づいたのです。かなり危険な踏査でしたが収穫がありました。「防災の石垣」新たな視点です。