竹原ゼミ旅行の2日目は、今回の調査演習のメインと言える妻籠宿の調査に向かいました。
宿泊した長野市内のホテルから、車で向かいました。道中には木曽十一宿の宿駅があるため、道路脇に宿駅があることを示す看板が見受けられます。
奈良井宿は、重要伝統的建造物群保存地区になっており、宿駅としての景観が整えられた綺麗な場所です。あまり長い時間見学することはできませんでしたが、見ごたえのある場所でした。
妻籠宿に到着して、まず初めに脇本陣奥谷を見学しました。
脇本陣は明治10(1877)年に建て替えたもので、詩人・島崎藤村の初恋の女性の嫁ぎ先でもあるそうです。国の重要文化財に指定されており、江戸時代に使用を禁じられていたヒノキを使って建てられているのが特徴です。
脇本陣の裏手からは歴史資料館に行くことができます。資料館では南木曽町や木曽路の歴史、町並み保全運動等について展示されています。
脇本陣を見学した後は、各々が事前に決めた調査テーマに沿って、妻籠宿の調査を自由に行いました。私は、脇本陣からほど近いところにある本陣を見学しに行きました。
本陣は平成7(1995)年に復元されたもので、こちらは島崎藤村の母の生家であるそうです。大名が宿泊する上段の間の復元が見学できる他、間取り図を元に再現された模型や、資料の展示等もあります。
本陣の見学後は、自分が定めたテーマを意識しながら妻籠宿の中を散策しました。
妻籠宿には特徴的な桝形の地形があります。現在は新道が作られたため桝形の地形は失われていますが、この地形の跡が残っています。桝形の地形は、外敵の侵入を妨げる役割があったとされています(写真左上)。
この桝形の跡から南へ進むと、寺下という地区に出ます。寺下は400年程の間火災に見舞われていない地区らしく、古い景観を良く残しています(写真右上)。
寺下には、妻籠宿における庶民の住宅の形式をとどめる「下嵯峨屋」と、木賃宿と呼ばれる宿泊施設であったとされる「上嵯峨屋」というふたつの町指定有形文化財があり、どちらも自由に見学することができました。
下嵯峨屋は昭和43(1968)年に、上嵯峨屋は昭和44(1969)年に解体復元され、現在のように保存されています(写真上が下嵯峨屋、写真下が上嵯峨屋)。
妻籠宿の北側には、復元された高札場や、鯉の形をしているとして名所になっていた鯉岩がありました。鯉岩は明治24(1891)年に発生した濃尾大地震で倒れてしまったため、往時の姿を確認することはできません。鯉岩は、大変わかりずらいですが、左側にある階段から後ろに周り、上に上ることが可能でした。柵も何もないのでそれなりに危険ですが、のぼるととても眺めがいいです。
それぞれ調査テーマが違ったので、橋や道幅の長さを測っている人もいたようです。妻籠宿は見所が多く、端から端まで見学するとそれなりに時間がかかるので、非常に充実した調査を行うことができました。