織田信長の足跡を訪ね、小牧山城と岐阜城の石垣調査を見学してきた。
本格的な近世城郭石垣は天正4年(1576)、信長の安土城を嚆矢とするという考え方が一般的だ。
信長は近江の安土に入る前に尾張・小牧山城(永禄6年1563)と美濃・岐阜城(永禄10年1567)で石垣を築いており、近年その調査が行われている。石垣技術の発展過程をうかがう上では格好の材料であり、城の縄張りとともに石垣の背面構造や石積み技術を観察した。どちらも山で産出するチャートという硬い石で節理に沿って割れた自然石を用いる。すでに穴太積みの特徴的な要素は備えており、早くから近江の石積み技能者集団を取り込んでいたことが窺えた。
今回は小牧市教育委員会、岐阜市教育委員会各位のお世話により、金沢城石垣比較研究プロジェクトの面々が全国から参陣した。牛歩のあゆみの2日間、興奮の連続だった。
案内いただいた皆様に感謝申し上げます。
お城の調査もよかったが、岐阜城の天守台で8年ぶりに卒業生に会えたことがうれしかった。違う学科の卒業生ではあるが、短い時間山形の思い出話に花が咲いた。これからも元気で。
千畳敷とロープウェイ乗り場。ルイスフロイスが訪ねた信長館は見事な庭園的空間でした。滝や池、露頭する岩盤、天下人と数寄の深い関係を示す場所でした。