白河市で歴史まちづくり講演会「小峰城の復興と歴史まちづくり」が開催された。
国の3次補正をうけて、いよいよ石垣の復旧が始まる。あわせて平成23年2月23日に認定を受けた「歴まち法(地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律)」による「白河市歴史的風致維持向上計画」のPRも兼ね、市の建設部局が企画した催しである。
後者は今後10年間国の補助を得ながら歴史と伝統を生かしたまちづくり事業が進んでいく。石垣の復旧工事も同時進行であり、城と城下町を核とした町づくり、震災復興は切っても切れない関係となる。当日は会場いっぱい200名余りの参加者があり、私は「小峰城石垣の歴史的価値と復興」と題して話させてもらった。
神戸の時もそうだったが、地域の復興に土地の歴史や記念物は欠かせない。土地の歴史の記憶をたどりながら現在を知り、ここにしかない新たな街を住民主導でつくっていく。城は町を見下ろす高台にあって、過去と未来を照らす灯台のようなものだと思っている。
発表のあと、小峰城とゆかりの深い結城家(近世白河藩成立以前の領主、秀吉の奥羽仕置で改易)と阿部家(白河藩最後の大名、19世紀に多数の石垣修理を実施)の現当主の方とお会いしごあいさつした(阿部家は22代目)。市長らとの懇談会でも、いずれここで歴代藩主サミットをやろうということで盛り上がった。お二人とも町にとっては頼もしい応援団である。
歴史と伝統を生かした「まちづくり」は国(国交・農水・文化庁)の補助メニューで、現在全国で26の自治体が認定を受け、事業を進めている。白河は東北で弘前に次いで2番目だ。
一時、多くの町で白壁の歴史建造物風の商店が立ち並ぶ街並み整備がされたことがある。それは画一的で、「銀座」や「中央商店街」のようなネーミングと変わらない。
この「歴まち法」は町の歴史や文化遺産、現在の社会状況などがまちづくりの出発点になっており、整備手法を間違わなければ、その点で同じものは二つできない。
国交省の担当者も町の本気度をみて認定しているのだといっていた。計画づくりに手慣れたコンサルが作ったような事業計画ではなく、市民が汗をかき、リスクも共有するようなものでないとだめだそうだ。町の底力が試されているということだ。
ところで白河が石の町だということはあまり知られていない。やはり地域の人にとってはありふれた風景が町の個性だと気づかない。ここには「白河石」というデイサイト質の溶結凝灰岩がある。現在も建設資材としてかなりつかわれているところが伝統的石材産地と違うところだ。石蔵や石碑、石仏も多い。自然石護岸の谷津田川の景観。7世紀には上円下方墳・横口式石槨という畿内王権と直結した古墳がある。地域の石材資源を使い続けた様々な石造物が街中にあふれている。これらをどのようなストーリーで紡いでいくのか。これからの研究課題である。
これまで白河は、福島県文化センター「まほろん」と、ラーメン食べにいくのが楽しみだった。
市の方々と関わるようになって、また好きな町が一つ増えた。しばらくは通わせてもらおう。