タイでは「カオプラヴィハーン」、カンボジアでは「プレアヴィヒア」と呼ばれている世界遺産がある。
アンコール時代の遺跡で「天空の寺院」として人気が高い。さならがアジアのマチュピチュといった感じだ。
1962年の国際司法裁判所の判決でカンボジア領とされ、2008年カンボジアの申請により世界遺産に登録された。
かつてはタイ側からも入れたが、これを機会に両軍がでて紛争となり、タイ側からは国定公園の入り口から先が入れなくなった。
周辺はタイとカンボジアが領有権を争う国境未確定地域にあり、毎年銃撃戦が起こる。2011年2月と4月には両国軍の戦闘で計28人の死者が出た。
この問題に対するユネスコの態度に疑義を抱いたタイは、国民感情もあり世界遺産条約脱退へと動いた(最終的には政権交代で撤回となったが)。
2011年7月、国際司法裁判所は両軍の撤退などを指示する判決を出し、両国政府は受け入れる方針で話し合っている。
朝のテレビニュースで新年をカオプラヴィハーンで迎える人々が映し出されていた。急きょ行ってみることにした。
行ってみると、かつて遮断されていた国定公園のゲートは通れるようになったが、遺跡の中にあるカンボジア側の小さなゲートが閉ざされたままで山の上まではいけない。タイ側からは残念ながら、長い階段を列をなして登っていくカンボジア人たちを望遠鏡でみるしかないのだ。
クメールはカンボジア人のアイデンティティ。しかし、タイ東北部イサーンにも南部3県を中心にクメール系の人がたくさん住んでいる。ラオ系の人々が主体のイサーンは、世界遺産アユタヤにつながるバンコク王朝に対して、地域内に点在するアンコール(クメール)遺跡を自らのアイデンティティとしている。その状況の中でこの状態はなんとも複雑だ。
カンボジア側が閉じているゲートの前には一歩でも近づきたいタイ人たちが集まる。そこへ向こうからカンボジア人のおじさんが近寄ってきた。煙草を売りつけている。ラークやマルボロがなんと1カートン160バーツ(400円ほど)という。怪しいと思ったらどうも箱だけで中みは偽物らしい。商魂たくましい。
道路脇や草むらには鉄条網が張り巡らされ、小銃を持った兵士がいたるところで警備している。紛争地のにおいがぷんぷんするが、観光客に交じった兵士に緊張感はないようにみえる。
岩陰にはたくさんのトーチカが設けられ、兵士が野営している。その間を縫って遺跡を見学する。寺院本体はみれないが、パーモイデンからのカンボジア平原、磨崖仏、サトゥ・コーなどを見ることができる。
ビジターセンターは模型があるのみでがらんとしている。アプサラ?の女性がやさしく並んで記念撮影してくれるのが救いだ。
遺跡は誰のものか。世界遺産という名の功罪を思わずにはいられない