お正月の朝は車も人も少なく、商店は閉まっているところが多かった。みな帰省した子供や親せきとたのしい新年の酒盛りなのだろう。
2日になり、開いている店も増えたが、行きつけの飯屋はまだ休業中。
タイへ来ていつも不思議なのは、こちらの犬は左見て、右見て道路をちゃんと横断できることだ。もちろん人も交通量の多い道路を平気で横断する。中国ほどではないが、横断歩道や信号はほとんど必要ない。
信号機や交通ルールは「秩序」といえる。人はこれに従えば安全安心でいられるような気になる。歩行者信号を青で渡っていれば車は突っ込んでくるはずはないと思ってしまう。危機意識の欠如である。
ノーヘル二人乗りバイクが車の間をすり抜けるように走っている道路では車の運転もわき見はできず、細かいハンドルさばきがうまくなる。
車道には犬や牛や水牛もいる。気を抜けない。人もアクセルを緩めたかと思うと平気で飛び出してくる。あうんの呼吸で人と車が共存している。
ピックアップの荷台には人がすし詰めで乗っている。子供たちも何もつかまらないで楽しそうだ。先日の高速道路のバスと同様に急ブレーキを踏んだらみんな吹っ飛んでいく。
事故った時はダメージはあるが、どっちがいいのか考えてしまう。現代社会は秩序を選んで社会を作ってきた。これからもそうなるだろう。しかし、そのことで失うものがあることをしっかり自覚し、時には取り戻すことが必要だろう。
今日一日はなじみのD村で一人一人ポターを訪ね歩いた。
今は稲刈りを終えてひと月ほど。土器作りはまだ始めていない人が多い。もちろん、製作に熱心なポターはもう作っている。お正月も関係ない。
普段働き者の女性たちもこの時は、思い思いに集まりしゃべり、食べ、昼寝する。ごろごろして一日を過ごす。
ここでは4月のソンクラーンを大々的に祝うので、西洋暦の正月はそれほど重要ではない。バンコクに働きに出た子供たちが帰ってくる時期という感じなのだ。この日はUターン準備の若夫婦が何組かいた。
40代、50代のポターたちは10代後半にバンコクに働きに出、そこで結婚(婿取り)、出産して里へ帰る。そして土器づくりを再開するというのが典型的なパターンだった。
しかし、いまの子どもたちは結婚しても帰ってくる夫婦は少なくなった。逆に孫もりのために、婆さんがバンコクに行く時代になった。
村では土器つくりの傍らで現金収入を求めて新しい動きが加速する。2006年から始まったマンサンパラン(キャッサバ。タピオカでんぷんやバイオ燃料)、ヤンパラ(バラゴムの木)の栽培が田をつぶして行われている。村長も今年からヤンパラを始めたそうだ。毎日朝から晩まで仕事している。ゴムの木が生長するまで6-7年待つ。これらの作物は稼ぎはいいが、土地が荒れる弊害があるといわれている。
マンサンパランは芋のまま出すと3バーツ、スライスして出すと6.5バーツ。相場に変動がある。魅力的な金額である。
土器作りは販売価格が据え置きのまま、粘土や薪の材料費が高騰してきた(ここ5年で約1.5〜2倍)。そのためにここ数年でやめてしまったポター、継続するか、やめるか、岐路に立っている女性が少なくない。土器つくりの衰退は、貨幣経済の浸透が大きく、台所の電化やポターの高齢化だけが原因ではない。