朝5時、寺の鐘が鳴り、窓の外から賑やかな声が聞こえ目が覚めた。
ゲストハウスの前の狭い通りで毎日朝市が開かれている。ここの朝市は文字通り陽が昇る前の暗いうちから始まり、野菜や果物、茸、魚、鳥、ネズミ、衣類、生活雑貨・・・あらゆるものが並んでいる。
この日は調査予定の村をざっと一回りした。
まずP村。ここは土器の村である。2003年、2007年、市場でここの土器を買って帰った(3.11地震で棚から落ちて割れてしまった)が、作っているところを見るのは初めてだった。
村に行ってみると、ポターはもうKさん(53)1人しかいないという。ルアンパバンの土器作りは絶滅寸前だ。
Kさんは通年で製作しているが、家は2年前からオープンテラスのレストラン?をはじめた。土器作りは今日は仏日でお休み、明日は娘の誕生日でお休み、あさっては仕事をするよというので再訪を約束する。ちょうど今掘っているという粘土掘り場に案内してもらう。砂は家の裏のナムカーン川の中州からとる。
工房をみてびっくり!バーンチャンの窯村とおなじ「手回しロクロ」があるではないか。亡くなったおばあちゃんの代から使っているのでいつまで遡るのかは分からないという。土器を見る限りロクロで水挽きしている形跡はない。果たしてどう使うのだろうか・・・・
ルアンパバンの町に戻り、昼食を食べてからボートでメコンを下る。懐かしのチャン村に着いた。昔の『地球の歩き方』にはこの村が紹介されていたのに、最近の版には載っていない。ボートを降りて階段を上ると村の入り口だ。ここで門番の爺さんがお金を徴収している。2003年、2007年とも入村料5,000kip(50円)だったのに、いまは10,000kip(100円)に値上がりしていた。カンボジアのシェムリアップのように観光門前町はどこも物価が高騰している。
村の中を1周する。懐かしい顔に出会う。みんな覚えていてくれたのがうれしい。
この村の5年の変化の早さに驚く。窯はいまは3基しか稼働していない。5年前は5基稼働し、6基目を掘っていた。ここは日本古代のような地下式窖窯が特徴だが、平地に掘っているので、雨季の大雨で焚口が埋まってしまうのが原因だ。2基は壁が崩れて放棄したままになっている。
3基の窯の窯焚きの予定を聞き、測量・実測の計画を立てる。困ったことに窯の中がまるまる一日あく日が無いのだ。窯が少ないせいで、焼く人が順番待ちの状態。出しては詰め、詰めては焼き・・・・
今日の最後は、ラオ・ラーオ(焼酎)作りの村バーンサンハイ。焼酎造りを見学でき、試飲できる。この村は数100年前までは大規模な焼き物村だった。アメリカ人Mr.ドーンが1987年に1年間滞在して調べた結果、約100基の窯跡が確認されたという(村の爺さん談)。いまは焼酎と織物販売の村として観光地となっている。お店の傍らにはそれらに交じって灰原から掘ってきた焼き締め陶器ハイや窯道具も並べられている。
観光客が買っていくお土産物に興味を示さず、土器ばかり見ている変な日本人に、村人は怪訝そうな顔をしながら、あわてて自宅から壷をもって集まってきた。
昨晩の寒さに耐えきれず、ナイトマーケットでラオ語の書かれたパーカーと愛用の「Laos」Tシャツの色違い3枚を買った。パーカーは村の人たちにうけた。