整備された遺跡を訪ねて、不満に思うのは当時の空気(匂い)が感じられないことだ。復元住居に入って、毎日火が入っていればまだしも、人気(ひとけ)が感じられない乾いた空気や湿気でカビ臭いのには白けてしまう。かといって遺跡公園ではごみ臭い、糞尿臭い空気を復元することは難しい。
下仁田町荒船風穴は、過去の「空気」を保存している珍しい遺跡だ。
群馬県には日本の世界遺産暫定リストに登録された「富岡製糸場と絹産業遺産群」がある。ここ国史跡「荒船風穴」はその構成資産の一つである。遺跡は群馬県藤岡・吉井から長野県佐久に抜ける国道254号線沿いの山間にある。
明治後期〜大正期、日本は生糸の輸出で世界市場を席巻し、近代化を成し遂げた。ここは、岩の隙間から吹き出す冷気を利用して蚕種(蚕の卵)を貯蔵し、孵化をコントロールする施設だった。冷蔵保存することで、当時年1回だった養蚕を夏と秋にも可能にし、生産量を飛躍的に増大させた。
風穴は3基あり、貯蔵能力は国内最大規模。全国2府31県から委託を受けて蚕種を保存していたという。
1号風穴は明治38年施工、2号は明治41年、3号は大正年間に作られた。
岩塊のすき間から自然の冷気が噴き出す場所に長方形に石積みし、これを地下室として上部に上屋が建てられていた。
一昨年、1号風穴の石積みが崩壊し、いま修復工事が行われている。
今日は春の陽気、外気温17度。石積みの中に下りると冷気が漂う。石の隙間に置いた温度計は2℃。当時年間を通して2〜3度前後にコントロールされていたそうだ。今も石室内には降った雪が残り、岩のすき間からは冷風が吹いて氷柱が立っている。
崩れた石積みの修理においても、補強を優先してこの冷気の吹き出しを変えてしまってはいけない。この冷気を保つためには周辺の地形や植生・水環境を丸ごと保存していかなければならない。
世界遺産暫定リストに登録されてから多くの人が訪れるようになった。アクセス道路はいまは乗用車がすれ違えない細い道しかない。冬場はもちろん閉鎖。クマ・シカ・カモシカ・イノシシ・・野生動物はなんでもござれ。観光と遺跡の保存整備、これからが正念場を迎える。