歴史遺産学科

歴史/考古/民俗・人類
*
2012-09-05

佐藤ゼミがゼミ旅行で滋賀県を攻める


お久し振りです
佐藤ゼミのパーカーです
何故、急に書き込みをしたかというと、タイトル通り9月1日〜4日までゼミ旅行に行っていたからです
知っての通り、滋賀県は琵琶湖とひこにゃんがいる彦根城が有名です
そして、私が担当するのは1日目の彦根城です
初日というとことで、移動に時間を取られてしまい彦根城を見るのが慌ただしくなってしまいました
1時間の中で博物館と天守の中を見れたのは、ゼミ生と先生の動きが今まで見たことない程に素早かったらだと記憶しています

ここからは、行ってみてわかったことなどを載せていきたいと思います
まず彦根城博物館ですが、館内では、有名な井伊の赤備えの具足に始まり、雅楽の楽器や能装束、茶道具、古文書、庭園の展示がされていました
中でも刀の展示で、ゼミ内でも話題になった柄が青色の刀があったことでした
青色の物は珍しいそうで、地味だと言われていましたが、展示されていた物を見た時は、綺麗な刀という印象を持っていたので、今回見ることが出来て良かったです
そして、井伊家が能や雅楽や茶道などに深い関心があったのは、江戸時代の武士の心得とされいたからのようです
江戸時代の武士は文武両道を求められていたように思えました
そして、井伊の赤備えは武将1人ではなく、藩主以下家臣団までもが、甲冑や旗指物を朱色で統一したものを呼ぶようです
ルーツは甲斐の武田氏にあるようで、徳川家康が井伊直政を強力な大将にするために武田の遺臣を中心とした117名を直政につけ軍事力の増強を図りました
勇猛で知られた武田家有力武将、飯富虎昌らの赤備えにあやかり、軍団を赤一色とするように命したそうです
直政は徳川家臣団の中で最強といわれるようになり、徳川四天王の1人に数えられたので、赤備えの効果は効いたようでした
これまで井伊家のことを知れていなかったので、今回のゼミ旅行はいい機会となりました

次に彦根城ですが、天守に上ってきました
彦根城の石垣は立派で、どの城でも思うのですが、当時の人達は現代のような便利な機材が存在しない中で、大きな石を運んで積み重ねたのか、当時の建築技術の高さが想像できました
石垣脇を通り、門を2つ抜けると本城に着きます
天守の階段は急になっていて現代人の足には負担がかかりますが、同時は、敵が容易に天守まで上って来られないようにする防護の場所でもあっただと思いました
天守からは彦根市て琵琶湖が一望できました
ここから戦の指揮や戦況を考えていたと思うと、城の重要性を感じることができました

まだ語りたいことはあるのですが、文字数の関係上ここまでとさせていただきます


刀の画像、右側が柄の色が青色の物です
見えない方はクリックお願いします


それぞれ写真をアップしていたので、アップして見たい人は画像を、クリックして見てください
それではパーカーからでした
次、2日目安土担当の方にバトンタッチです

最近の投稿

最近のコメント

アーカイブ

カテゴリー

メタ情報

東北芸術工科大学
TUADBLOG