歴史遺産学科

歴史/考古/民俗・人類
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2012-09-07

まちあるき集中作戦〜5日目


人生の先輩たちがライフヒストリーを若者のために訥々と語ってくれる。
最初は、断片的で、私的であるが、やがてひとりの、家族の人生ドラマとなり、それが束になってこの地の生業や社会の歴史としてリアリティーをもって我々に迫ってくる。

地域に根づき真摯に生きてきた人々の語りに耳を傾けられる幸せ。自分と向き合う時間だ。

Aさんは石を切って50年。その歴史と仕事(作品)を写真をみながら一つ一つたどる。地元だけでなく上山や寒河江にも鳥居の部材を切り出した。6mの角石を矢で剥がす。写真見る限り矢は30本以上あった。その重さで土ゾリがしなって危うかったと奥さん。
なぜ山石工が田んぼを持つようになったのか。興味深い話だった。

印象的だったのは奥さんが旦那さんの仕事の時期と内容を細かく記憶していること。石工の女房が影でその仕事を支えてきたことが垣間見えた。








二井宿街道の特徴的な景観構造物として円筒形の「サイロ」がある。
酪農が盛んだったころ、トウモロコシ等の飼料を保管する施設として各家庭に作られた。地場の資源と結びついて高畠石製のサイロができあがった。面を50cm角に仕上げ、アールを付けて円筒形に積み上げる。

しかし、現在残るのはコンクリート製のものがほとんど。オリジナルの石製サイロは少なくなった。

これは平成10年に開園した町の歴史公園とかかわりが深い。
この時に舗道に使う敷石材として、サイロに目が付けられた。サイロを一斉に壊し、その部材を薄くスライスしてこの材料としたのだ。新たな用途に再生されたわけだ。
まちあるきをしながらサイロが林立した昔の姿をふと想像してみる・・・・

石製サイロが消えるのがあまりにも急だったのと、再生方法が原形をとどめない形で行われたのはちょっと残念な気がしないでもない。

Uさんの庭をみていて、ふと顔を上げると巨大なサイロ?が目に飛び込んできた。

家人にたずねると、これは某酒造と当家の給水塔らしい。合点がいった。それにしてもすごい!用途はサイロではないが、かつてあった石製サイロのシンボルとして十分な迫力を持っている。

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