お久しぶりです。
一ヵ月振りのパーカーです。
前回見てくれた方はお気づきでしょう。
ゼミ旅行でボーダーさんと一騒動起こしたパーカです。
あれから、その場のテンションと勢いに身を任せると予想外のことが起こることを学びましたのパーカーです。
(実はあまり気にしていない)←えっ
さ、本題に入ります。
我々佐藤ゼミは、先月末の25日−28日までの4日間の間、学校周辺と元木の鳥居周辺でフィールドワークを行いました。
内容は石碑の調査が主です。
あとは、ふじさんが極めた拓本ですね。
あれには手を焼きました。
でもですね、私が担当する1日目は、なんと……
外に出ていないのです!
フィールドワークじゃないのか!?って思いますよね?
実は、初日は調査地の説明と機材の使い方と班決めを午前中に行い、午後は新関さんという方からお話を聞いた後に拓本の練習をして終わったんです。
以下行動したこと。
9月25日午前10時ジャスト!に佐藤ゼミ全員が集まることなく、数分後に全員揃いました。
ここから、佐藤先生による4日間のスケジュールの説明を聞きます。
そして、運命の班決め…とはいかず、極普通に座っている場所であっさり決まりました。
もめないのが佐藤ゼミのいいところです。
一応班は……A班:ふじ・ボーダー・パーカー
B班:トマト・ライス・弁慶
C班:蜻蛉(前回の名前)・K・stagです。
午前中の最後は、機材の確認などをして終わりました。
午後1時、瀧山郷土史研究会会長の新関さんから、瀧山の歴史、蔵王について、熊野信仰などについてお話を受けました。
話の中には慈覚大師円仁や行基、西行など知名度の高い人物の名前が出てきたり、瀧山は又の名を霊山といい、円仁が清和天皇の命で開山した説があることなどを知ることができました。
また、古くから祖霊や水神の信仰の山として崇められ、山の麓では瀧山から流れる水で早くから開田が進んだ豊潤な地であったようです。
他にも、西行の話で源義経が藤原秀衡の元に無事行き着いたのを見届けたあとに、瀧山の山桜を見ることを勧められた話が、長谷堂にもあるといのが面白かったですね。
腑に落ちなかったのが、瀧山の瀧は”龍”(竜)が正しいということで、瀧は本来無い漢字と言われたことですね。
なんだか自分の名字を不定されたようで、そのあとも地味に気にしていました。
新関さんの話が終わったあとに、ゼミ室に戻り、拓本の練習を行いました。
結果は……細かい作業って、性格が出るんですね!
この成果が2日目の午後から発揮されます。
拓本終了後は、次の日の準備をして終了しました。
グダグダと語ってすみませんでした。
途中から何言ってんだ状態になったとこが多かったと思われます。
2日目の人はもっと簡潔に書いてくれると思いますよ!
2日目になにか事件性のものがないかなと思いましたが、特にありませんでした。
しいて言うのなら、道を間違わなかったことと、私1人がアルビノ発言に過敏になっていたことですn
すみませんもう黙ってます。
では!次、ふじさん!君に任せた!!