フィールド調査に通っているとかならず心を和ませてくれる犬に出会う。
3年前から通いだした上山市楢下でもみんなのアイドルだったのがT家の「紫音(しおん)」ちゃん。
愛くるしいサモエドで、暑い時も寒い時も学生たちの心の支えになってくれていた。
その紫音ちゃんが12月5日の朝、天国に旅立った。
知ったのは1週間後だったが、学生たちに連絡したら日本画のS君がすぐに花を買って届けてくれた。
彼の気持ちと行動にあたたかいものを感じずにはいられなかった。
毎週のように通っていた楢下の秋のイベントが一通り終わったのが11月末。それを待ったかのようなタイミングだった。
合掌
同時に6年間通った高畠町の高安という集落を思い出した。ここでもサモエドのロッキーというアイドル犬がいた。
毎年夏休み1か月余り、高安に通って須恵器窯跡の発掘調査をした。
現場の入口にあるKさん家にいたのがロッキーだった。
朝現場の山に入るときも、1日の作業を終えて帰るときもロッキーはそこにいた。
6年間の最後の調査が終わった9月、学生たちがもう来なくなるのを見計らうかのように逝った。
この6年間を過ごした学生たちは、発掘とブドウ畑とロッキーがセットで脳裏に刻まれている。
この二つの出来事が私にはダブってみえた・・・・
横戸上山市長、古山教育長も駆けつけて参加者を激励。
芸工大からは歴産、日本画あわせて11名の学生が参加し、赤山と平林の2カ所の茅場でそれぞれ作業を行った。
お昼はばあちゃんずくらぶのお楽しみ御膳をいただく。
かみのやま寺子屋塾の子供たちも参加して賑やかなイベントになった。
このプロジェクトは芸工大美術科工芸の卒業生が発案し、5年前から始まった。市内にある茅葺き古民家の屋根を維持していくためには、資源としてのカヤと茅葺き職人の技術が継承されていかなければならない。
資源の供給と利用が地域で持続的に行われるよう
楢下では5年前から休耕田を利用した茅の刈り取り、茅場の再生が行われてきた。当初は少人数で手刈りしていたが、今ではエンジン付きの草刈り機が活躍している。ここ2年は夏の下草刈りなども行い良質なカヤを生産し、販売までできるようになってきた。。
東北でもカヤを自給できるところは少なくなった。よく使われる湿地性のアシ、ヨシは山ガヤ(ススキ)に比べて耐久性に劣るという。
このような村の取り組みに学ぶため今年は2年生が中心となって作業に参加した。
カヤと総称される草の違いを知り、茅場の原風景を実感できた。体験してみてはじめてカヤの縛り方や乾燥のさせかた、一つ一つがリアリティを持って語れる。きっと得たものは少なくないはずだ。
〜地域に学び、地域を支える〜
楢下の山々が色づき始めた。11月3日は恒例秋のそば祭り。
村の人たちがそばや郷土料理をふるまい、とれたての野菜や果物、紅花などを直売した。
大勢のお客さんが訪れ、学生たちが奮闘した。
歴史資源を保存・活用しながら、地域で豊かに生きる。地域に学び、地域を支える。
2年前からお世話になっている上山市楢下
かつて羽州街道の宿場町があった集落で、その一部が国の史跡に指定されている。ここには「羽州街道「楢下宿」研究会」という住民主体のまちづくり組織があって、手弁当で史跡の保存・活用にもあたっている。
ゴールデンウィーク中は29日に集落の春まつりがあるほか、5日には春のそばまつりを行って観光客にもサービスしている。
今年は上山城まつりに楢下名物「納豆あぶり餅」の出張販売に出かけた。
昨年から楢下に通っている学生たちが研究会のみなさんと連休中を過ごした。
27日には金山川にこいのぼりを設置し、かつて楢下で使われていた消防腕用ポンプなど3台を展示した。
29日は集落の春祭り。街道沿いの各家の軒先には提灯がずらりと並び宿場町の風情をみせる。
観音堂の裏にある集落の鎮守ーお神明様に続く155段の石段。お年寄りや雨の日は登るのがきつく、2年ほど前から麓の公民館で祭礼を行っている。山神社の前では当前組の女性たちが参詣者にふるまいをする。
「おじいさんの村」にも歌われたお神明様の石段、お祭りの日はきれいに掃除されていた。登り口は木々がトンネルのように覆いかぶさっている。
学生たちは山に行きタラノメ、ワラビ、たけのこを採ってきた。大黒屋ではリヤカーを使った露天てんぷらまつりが始まった。
さらに昨秋の採ったマツタケまでごちそうになったという。
3日は上山城まつりのお手伝い。
学生が提案した納豆あぶり餅の竹串回収箱のアイデアが好評だった。
5日はそばまつり。会場設営から調理場、受付、そば出しまでフル回転した。その場であげる山菜てんぷらは最高。うちあげでは囲炉裏を囲み炙った厚揚げやシシ肉、山菜などに舌鼓。
研究会のみなさんありがとうございました。夏祭りにはもっと大勢で参ります。
地域に学ぶ、地域を支える、、、、、、歴史遺産学科の学び