こんにちは!歴史遺産学科4年広報担当です。
6日間にわたって開催された東北芸術工科大学卒業/修了研究・制作展が先日終了しました。
歴史遺産学科では毎年、研究論文とパネルの展示をしています。
また、今年は新しい試みとして論文を読むことのできる専用のスペースと、飲料やお菓子を楽しむことができる「喫茶ゴトー」を設けました。
無料でコーヒーを楽しむことができる喫茶ゴトーは大人気!匿名の方から差し入れもいただきました。ありがとうございます!
また今回、田口先生、竹原先生、北野先生がそれぞれ学生とのクロストークを開催し、どれも立ち見が出るほど多くの方にご来場いただきました。「歴史遺産学科って?どんなことを勉強しているの?」といった方に、歴史遺産学科のことを少しでも知っていただく機会になったのではないかと思います。
今年の卒展は新しい試みがたくさんあり、4年生全員で幾度も話し合いを重ねてきました。
結果、大きなトラブルもなく、多くの方にご来場いただき卒展を無事終了させることができました。
また、今回の卒展を成功させるまでに多くの方にご協力いただきました。副手の玉手さん、歴史遺産学科の先生方、協力してくれた3年生のみなさん、展示のアドバイスをくださった中山学長、そして何よりお忙しい中お越し下さったお客様方、本当にありがとうございました!!
卒展一般公開2日目の今日、本館402演習室にてクロストークが開催されました。
ご来場いただいた皆様、ありがとうございました!
第1回目である本日の登壇者は、田口洋美先生と田口ゼミ生4人。
『ハンティング・フィールドで何を見たか?―小国でのウサギ狩り、北海道でのシカ狩りを通して―』
と題しまして、トークを展開しました☺
会場の402演習室は立ち見が出るほどの盛況ぶり!
田口ゼミのゼミ旅行では、約10日間をかけて北海道を一周します。
その中でも紋別にある西興部(ニシオコッペ)では、実際にシカ狩りを体験することが最大の特徴。
村のほとんどが猟区である西興部にて、ゼミ生は
「どうして鹿を獲らなければならないのか」「どうやって獲るのか」「そのためにはどのような人・行政が関わっているのか」
などを、実際の現場で地域の方々との関わりのなかから自発的に学んでいきます。
西興部では 鹿の飼育もおこなっています
また、田口ゼミの学生は小国町でのウサギ狩りにも参加しました。
演習期間中の食事はすべて自分たちで用意します
冬に山に入って猟を行うには、深い雪の上でも行動するための「かんじき」が必要不可欠となります。
地元のマタギの方に作り方を学び、自分で作った「かんじき」を履いて実際に山を歩くという経験の中から、田口ゼミ生は古の昔から受け継がれてきた民俗知を体験的に学びました。
田口ゼミの学生は
「地域に生きることの幸せを見つけ、伝えていく」歴史遺産学科の学生としての役割を「ハンティング・フィールド」のなかで感じたようです。
2月6日(水)から11日(月・祝)の6日間、卒業/修了研究・制作展が行われます。
各日程とも10:00~17:00までとなっています。
毎年、卒業展示の期間は雪が降る予報です。
特に9日(土)から11日(月・祝)の交通機関・駐車場等混雑が予想されますので、
自動車・公共交通でいらっしゃる方は、十分にお気をつけください。
歴史遺産学科では、4年間の集大成として「研究論文」を執筆しました。
学科生26名、院生2名の計28名が、論文・パネルを展示します。
本館4階の401教室・402教室にて展示しますので、是非ご覧ください。
また、7日(木)、10日(日)、11(月・祝)は学生生活や学習について話す
教授×学生×ゲストによるクロストークイベントをします。
13:00~13:40の40分間と短い間ですが、聞いていただけると嬉しいです。
卒業展示に向けて、めちゃくちゃ頑張ったので来てけろな~
以下、準備の写真です。
インスタグラム(@tuad_rekisan)・ツイッター(@tuad_rekisan)で卒展準備・卒展期間の様子をお届けしています。
そちらもぜひ!!
竹組準備中
竹組にヒグマの毛皮をかけています。
エントランス完成!
401教室のホワイトボード
(歴史遺産卒業研究展統括代表 河野)
平成30年9月17日(月)に、韓国より全谷先史博物館で館長を
全谷先史博物館は、韓国の京畿道漣川郡に位置し、1978年に東
このようなご縁があり、今回李館長をご招待し、ご公演いただいた
李さんからは、韓国の「全谷旧石器遺跡」を中心にお話しいただき
世界における旧石器時代の研究が変わり、その全谷旧石器遺跡の地
全谷旧石器遺跡は1年生の頃から講義の中でも取り入れられていて
講演終了後、旧石器の石器製作の方法を見せて頂きました。いつも私達が行うやり方とはぜんぜん違っていて、
今回は、大学院の講義の一環であり、学内での開催となりましたが
私たち北野ゼミは9月3日から8日の5泊6日の九州に行ってきました!
今回は初日の9月3日を少し写真を交えながら紹介したいと思います。(写真が少ないなんて言えない・・・)
9月3日は、仙台空港へと集合し、仙台→福岡と経由なしで行きました!
ゼミ生は7名いるのですが、うち5名山形から高速バスで、ある人はご家族の方に送られて、私(投稿者)は直接電車で仙台空港へ行きました(-ω-)/
飛行機内では、本を読んでる人、ゲームしている人、わくわくしている人とかなり個性が出ていました。
福岡に到着したのは14時くらい、飛行機のタッチ&ゴー現象や搭乗時間の遅れで少し遅く到着しました。空港でレンタカーに乗り換え。8人のりの車に8人乗車。あれ?荷物はどこに載せる? 車は九州道から長崎道へ。
初日は「吉野ケ里歴史公園」に行きました!(着いたのは15時だったと思います)
「吉野ケ里歴史公園」は国土交通省が所管する数少ない国営歴史公園のひとつです。当時の遺構の実物大復元や出土品の展示などを通じて弥生時代を体感できる場所とのこと、先生からの説明を受けながら周ることに。
周っていると大きな櫓が( ゚Д゚)そこから見える景色は格別です!
復元された竪穴建物の中に入れます。
中には什器や人の模型が置かれていますが、生活感はありません。
火を焚いていないため、黴臭さが残ります。
遺跡の整備はハードだけでなくこれからは空気・匂い、人の動きなど無形の遺産の活用もあるといいのかもしれません。
博物館内には石鏃や多くの土器、装飾品、お墓(墳丘墓)、甕棺(かめかん)などがありました!
土器の復元や実測作業を見学できるのは面白い展示だと思いました。
北墳丘墓の遺構の露出展示は迫力がありました。一度発掘した遺構を公開するまでの整備工事の様子がパネルで紹介してありました。
空調管理設備、土壌保存の薬剤等、最新の機器・技術を使いながら、発掘後で取り上げた甕棺の再設置は意外に地道な手作業だということも分かりました。
本物の遺構の臨場感を見学者にも体験してもらうための展示の工夫がよくわかりました。
二時間、この吉野ケ里歴史公園にいましたが、全然時間が足りなく、全部詳しく見れませんでした・・・が、かなり貴重な時間でした!
見学後は長崎道にのり、佐世保を目指しました。
ふるさとが好き、だからふるさとを歩こう
歴史遺産学科では1年次から地域のリアルな姿に学ぶことを目的にフィールドワークに出かけています。
5月の村上市、7月の米沢市に続いて、この8月16~18日に上山市楢下地区でフィールドワークを行いました。
楢下は江戸時代の宿場町で、その街道や地割りがよく残ることから国の史跡に指定されています。また茅葺きの古民家やアーチ型石橋など、県指定、市指定有形文化財(建造物)、古文書も残っています。このような歴史遺産の保存活用、歴史的まちづくりを学ぶためにこの地でフィールドワークを行いました。。
お昼ご飯は毎食、地元ばあちゃんずくらぶによる手料理。学生盛りでおなかいっぱいです。デザートのプリンスメロン、スイカ、モモ。すべて地元産です。
16日 滝沢屋の展示の見学、楢下宿の保存と活用(上山市教委斎藤氏の発表、行政の取り組み)、羽州街道「楢下宿」研究会のみなさんと座談会(住民からみる史跡の保存と活用、取り組みの歴史と現在)
17日・18日は3班に分かれ、それぞれのテーマで調査した。
景観班
50年前に町並みを撮影した約40枚の写真をもとにそれぞれが同じアングルから写真を撮り、景観のモンタージュを行った。この50年何が変わり、何が変わっていないのか。山の植生、道路・水路、電柱、家屋、塀、庭木など。景観の見方を学びました。
古文書班
村に伝わる「宗旨人別帳」を翻刻し、幕末・明治初の村の人口や世帯をを復元しました。
民俗班
村の古老たちから戦前戦後の暮らし、生業、祭礼などを聞き書きしました。
住民の皆様、市教委には大変お世話になりました。ありがとうございました。
8月11日 今年も楢下の夏祭り(観音様の祭礼)に行ってきた。
楢下は江戸時代には宿場町だったところ。日本海側の大名らが参勤交代で行き来した。明治以降はありふれた農村集落として現在に至る。
明治150年、すでに宿駅機能が廃れて久しいが、この村がたどってきた独自の歴史が様々な遺産として継承されている。
斎藤幸彦さん(今年の地区会長)の弾き語り「おじいちゃんの村」「トマト」
秋田おばこにのせて女性たちが演じる「とっくり踊り」
若い男たちが倒れるまで踊る「丘を越えて」
「おじいちゃんの村」作詞・作曲/斎藤幸彦
1 僕のおじいちゃんの住んでる村は 緑のとってもきれいな村です
都会で生まれた僕にとっては 空の眩しすぎる村です
秋になれば色あざやかに 野山を彩るもみじ
小さな川は滝に流れて まるで絵葉書のような村です
2 僕のおじいちゃんの住んでる家は 茅葺き屋根の大きな家です
煤けた天井いろりの煙 昼寝のじゃまする柱時計
冬になれば軒の下まで 雪に埋もれるけれども
春には馴染みのツバメの夫婦が やって来る暖かな家です
3 僕のおじいさんのいけない癖は 話に夢中になると火鉢のふちを
トントン叩いて浪花節です 折れたキセルが年の半分
百三十段の石段 村の神様があります
息も切らさず毎朝登る とっても元気なおじいちゃんです
今年数え七十二才 とっても丈夫なおじいちゃんです
地域の姿に、歴史の舞台にリアリティをもとう!
これが歴史遺産学科のモットーです。
5月27日(日)上山城に集合し、博物館を見学した後、上山宿のあった城下町から楢下宿を目指して歩き始めた。片道10km。二里と半
番所のあった矢来橋(上図)を渡ると一直線に街道が延びる。江戸期以来の町屋の地割がやがて消え、武家屋敷整備のために移転した旧長清水村に至る。沿道には村山地方で発達した丸石積みの石垣が続く。
途中、「大場装蹄所」の看板にはっ!とする。もしや楢下の大馬喰-大場小次郎家の末裔では?と思い、訪ねてみるとやはりそうだった。小次郎三男の分家だという。長清水では古文書がたくさんあるという旧宅で「救荒蔵」をみせてもらう。消火栓やあちこちの家に御幣が掛けられているのをみて不思議に思っていたら、古峰ケ原の火伏せだとわかった。今も講組織があり、代参しているという。道草を食いながら1時間遅れで米沢方面と羽州街道の追分ー三本松に着く。
それから左に折れて羽州(本庄)街道へ。ひたすら楢下を目指すはずが、途中、関根、三上、皆沢の各集落にはあちらこちらにトラップ(神社や観音堂など)があって思うように進めない。
なかでも「馬乗り馬頭観音」は大きな発見だった!茨城県に集中する馬頭観音信仰の石碑である。
結局、1時間半遅れで楢下に到着。
山田屋で市教委の方やばあちゃんズくらぶ、羽州街道「楢下宿」研究会のみなさんの出迎えを受け、昼食となる。初物のサクランボや地元の豆腐、山菜味噌汁、つけものをいただく。昼食後は地元の研究会のみなさんから保存活用の取り組みと課題、生の声を聞くことができた。
帰路は17世紀初の羽州街道といわれる牧野街道の旧道を通って上山城をめざす。ここは古道らしく中世の板碑やその他石碑が集中している。また、昭和3年の昭和天皇御大禮(即位式)を記念して建てられた道標(追分石)が辻々にあることに気が付く。
金生からスカイタワーの下を通って上山城まで、一直線に旧道が残っていた。区画整理や道路改良で一部廃道になっており、車で通っていては気が付かない道だった。