歴史遺産学科

歴史/考古/民俗・人類
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2018-09-19

竹原ゼミ旅行 5日目

ゼミ旅行5日目は、長野県長野市にある「長野市立博物館」を見学しました。「長野市立博物館」は、長野盆地に関する地理的説明、古代の人々による生活の痕跡、善光寺と門前町、村と町のくらしなどが主な展示となっています。移動手段も長野駅からバスが出ており、アクセスが良いため、時間の関係上、非常に助かりました。

 

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こちらが「長野市立博物館」です。 近くに「川中島古戦場史跡公園」もあるので、興味のある方、時間に余裕のある方はそちらも見学できます。

 

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ここが入口です。

 

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入館すると左手に受付、そのまま進むと1階展示室、右手には特別展示室があります。このスペースには体験コーナーがあり、自分は江戸時代に用いられる挟箱(はさみばこ)を担いでみました。

 

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これが挟箱です。中身はないのですが、意外と重く、前後に重心があるため、慣れるまでバランスをとるのが難しいです。

 

1階展示室は、長野盆地の説明、地震関連の史料やもの、古代の人々の生活などの展示があります。自分は、善光寺地震の史料をみるのに時間を割いたため、全ての展示物をじっくりと観察はできませんでした。次の機会は、他の展示物にも時間を割きたい所です。

 

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1階展示室入口(すいません、写真傾きました…)。

 

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1階展示室の入口から左手に進むと長野盆地関係の展示があります。写真の右手は善光寺地震史料、中央は地震関係展示の小部屋です。よくみると1番奥ではヘラジカ(ムース)が顔をだしています。

 

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善光寺地震に関する史料。善光寺地震は1847年におきた地震で、善光寺付近では家の8割がつぶれたとされています。また地震によって山が崩れ、犀川(さいがわ)がせき止められました。20日後、犀川は決壊し、下流の長野盆地の大半が大洪水にみまわれました。二つ目の写真は、その際の災害絵図です。

 

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地震関係展示の小部屋。地震関係の展示、主に地震計がありました。小部屋中央にある展示は、現在最も古いといわれている感震器(模型)で、西暦132年に中国の張衡という人が考案したそうです。

 

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先ほど紹介したヘラジカ(ムース)です。非常に大きいですね。

 

他にも展示物はありましたが、時間の都合上、2階展示室に移動しました。2階展示室には、善光寺の説明、川中島の戦い、街道関係史料、農村のくらし、町のくらしなどの展示があります。今振り返ってみると、自分達の調査目的に関係する展示は2階にあったため、正直焦りました…。

 

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2階に上がるとまず左手に、この演習の調査地でもある善光寺の絵図があります。やはり実物と比較すると見え方が変わります。

 

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そのまま進むと右手に仏像の展示があります。この仏像は市内のお寺に伝わるものだそうです。

 

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川中島の戦いの展示を通り、街道関係の展示へ。この絵図が今回、自分が1番注目した展示です。これは善光寺宿駅の様子が描かれているものであり、当時の宿駅の様子が窺えます。この演習では、調査目的として宿場町を知るということもあり、最初は宿駅の造りという視点でみていました。

しかし、ここで興味深いのは、長野市立博物館にある善光寺の説明で、女性の参拝も許されていたことを学び、この絵図の見方が変わったという点です。女性参拝者を意識し、絵図の人物を観察してみると、確かに、それらしき人物が確認できます。知識を得たことによる視野の広がりを感じた瞬間でした。

 

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農村のくらしを見学しつつ、次の展示へ。この辺りの展示は時間の都合、詳しくみることができませんでした。次回注目したい点です。

 

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この展示は、商家の模型です。善光寺の門前町では木綿や菜種油、麻や紙が集まり、それらを扱う問屋がいました。この模型のモデルである三河屋も油問屋を営んでいたそうです。

 

時間の都合もあり、ここで長野市立博物館の調査は終了です。やはり時間が足りないですが、時間内でできる限りの成果は、各々得られたと思います。次の機会では、今回の成果を整理した上で、時間をかけて見学できなかった展示を中心にまわりたいです。

 

5日間のフィールドワークは学びの多い貴重な経験になりました。この経験を今後の学習に活かしていきたいです。

竹原先生、運転お疲れ様でした。ありがとうございました。

ゼミメンバーの皆さん、5日間の調査演習お疲れ様でした。

2018-09-19

竹原ゼミ旅行 4日目

 ゼミ旅行4日目は長野県の「戸隠神社」を訪れました。前日から台風が近づきつつあり、天候が心配でしたが、当日は見事に晴れて気持ち良く参拝することが出来ました。

 今回訪れた「戸隠神社」は「中社」「奥社」「九頭龍社」「火之御子社」「宝光社」の五つから成っており、参拝する際もこれら五社を巡る「五社巡り」が一般的な参拝ルートです。しかし、時間の関係上今回は「中社」「奥社」「九頭龍社」の三社を参拝することにしました。

 まず初めに近くに大型駐車場を有する「中社」に行きました。駐車場から少し歩くと「中社」の大鳥居がお出迎えです。

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2枚目の写真 の中央に移っているのは大鳥居の近くに生えている三本杉のうちの一本です。樹齢は約800年!

写っている人と比べてもその大きさがよくわかります。

 大鳥居をくぐり段数は少ないものの、急な階段を上ると「中社」が見えてきました。「中社」は天八位思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)という神様をご祭神としています。この神様は、天照大御神が天岩戸に隠れた際に岩戸神楽を創案し、岩戸を開くきっかけを作った神様です。学業成就などの御神徳があるそうです。筆者も後期授業の成績向上を祈願しつつ、「奥社」「九頭龍社」参道への道のり(片道約2㎞)に挑みます。

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「中社」を出て、10分ほど歩くと女人堂跡の石碑がありました。かつて戸隠は女人禁制の土地で、女性が足を踏み入れることが禁じられた土地でした。下の写真の左側の道は奥社に通じる道で修行の場とされ、立ち入るのを禁止された女性たちはここにあった女人堂から奥社を遥拝したそうです。

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それからさらに30分程度歩いて奥社の参道入り口に到着しました。奥社参道は中山道に比べると平坦で非常に歩きやすいです。参道の両側には湧き水なのか、水が流れておりどこか神聖な印象を受けます。

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 ここからさらに20分程度歩き、奥社参道の中間地点「随神門」に到着しました。門の屋根には一面に草が生い茂っています。この門をくぐると立派な杉並木とご対面です。

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奥社参道の杉並木は樹齢約400年だそうです。幹もかなり太いですが、根も複雑に絡み合っていて力強さを感じます。杉並木の枝や葉で空が覆われて日影が多く、昼でも涼しいです。

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その後黙々と歩き遂に「奥社」と「九頭龍社」に到着しました。「中社」を出てから約1時間半程度かかりました。「奥社」は天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)をご祭神としており、スポーツ必勝などの御利徳があるそうです。「奥社」近くにある「九頭龍社」は九頭龍大神(くずりゅうのおおかみ)を御祭神として、古来より水や虫歯の神として信仰を集めてきました。

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今回は三社しか巡ることはできませんでしたが、奥社参道の杉並木や三本杉、女人堂跡などの見どころはしっかりと見ることができたので良かったです。竹原ゼミ旅行5日目に続きます。

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2018-09-18

竹原ゼミ旅行 3日目

 ゼミ旅行3日目は、まず妻籠宿住民の有志によって構成される妻籠宿案内人の会の方と一緒に妻籠集落内を廻りました。

 案内人の方は、妻籠宿の町並み保存事業の歩みや、歴史、各地区にある建造物の様式や構造などを分かりやすくかつ丁寧に説明してくださいました。

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 その説明の中で私が注目したのは、妻籠宿の火災対策です。妻籠宿内には20mおきに消火栓と消火用ホースが「火乃要鎮」と書かれた木箱の中に収納する形で随所に置かれています。

 さらには、木箱に収納せずとも景観を考慮して目立たない色にした消化栓や防火用の水槽、消火用ホースが収納されている格納箱なども見受けられました。

 この木箱に収納されている消火用ホースは細く、かつ軽いため、女性の方でも扱うことができるようになっています。しかし、放水量はそこまで多くはないので、あくまで初期消火用として用いられているそうです。

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 このような他の集落には見られない防火設備の充実は、昭和51(1976)年に妻籠宿が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されたことが大きく影響しています。妻籠宿内の建造物群は基本木造であるため、火災によってそれらが失われることがないように防火設備がしっかりと整備されていることが、重要伝統的建造物群保存地区の景観を維持していく上での大前提であるとおっしゃっていました。

 集落内を歩くことで、その集落の町並みの保存事業の一端を窺い知ることができるというのも、集落散策の1つの魅力ですね。

 案内が終了した後は、宿内にある俵屋里久と呼ばれるおそば屋さんにて、昼食としました。私は温かいかけうどんを食べました。ここで午後の妻籠宿から馬籠宿間の街道散策のための英気を養います。妻籠宿から馬籠宿までの道のりは約9㎞ですが、その間には馬籠峠と呼ばれる標高801mの峠があるので、みんなしっかりと食事と水分を補給しました。 昼食後は13時の街道散策の出発時間まで、各自昨日行った現地調査の不備を再調査し、いよいよ馬籠宿へと向かいます。

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  はじめは家や田畑の傍を通る道や、コンクリートで舗装された道を歩きましたが、次第に山道へと入っていきました。しかし、傾斜はそこまで急ではなく、登りやすかったです。山中を登っていく道中には小さな集落や棚田があり、私が想像していた山林が生い茂る街道の景観とは異なっていて、とても面白かったです。

 また、街道の傍には庚申碑や道標、追分碑などの石碑や石像などが随所に見られ、それらがかつての街道の面影を偲ばせる景観を作り上げています。

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 そして、妻籠宿から馬籠宿間のやや馬籠宿寄りに位置する立場の茶屋にて、約10分間の休憩をしました。立場の茶屋とは、宿と宿の中間に位置し、ここを訪れる旅人が休憩するための施設です。自分も旅人の気持ちになって、一休みしようとしたところ、茶屋の店主からお茶と飴をいただきました。

 飴をかじりながらぼんやりと外を眺めていると、2人組の外国人が茶屋の前を通りすぎ、それに気づいた店主が流暢な英語で挨拶をしていました。それだけ外国人がこの街道を通っているんだなと思いました。実際に茶屋で休憩する前の道中ですれ違う人達のほとんどは外国人で、日本語で挨拶する時はとても緊張しました(笑)。

IMG_6668[1]IMG_6671[1] そして、茶屋で休憩を終え、街道散策を再開。歩いてまもなく南無阿弥陀仏碑や三界万霊碑、墓碑などが見られました。かつてこの近辺に集落が形成されていたことを窺い知ることができます。

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 その後の道中は道草食っている私のはるか先導をゆくみんなに追いつこうともくもくと歩いていました。そして、ついに馬籠峠の頂上に到着しました。あとは峠を下るのみです。IMG_6701[1]

IMG_6718[1]IMG_6729[1] 下りの道中、猫さんを発見。こういう小さな出会いというのも、散策の醍醐味ですね。

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 猫さんと戯れている間に、またみんなとの距離が離されてしまったので、猫さんと別れた後はもくもくと歩きました。そして、竹原先生とゼミメンバーであるT氏に追いつきました。しかし、他のゼミメンバー2人を眼下に捉えることはできませんでした。

 馬籠宿まで、もうひと踏ん張りです。

IMG_6760[1]IMG_6762[1] IMG_6768[1] IMG_6784[1] IMG_6799[1] 峠を越えた後の馬籠宿までの道のりは、ずっと下りの道だと思っていましたが、まさかの登り…。足に疲れが溜まっていた分、正直きつかったのですが、その登りの石段を登りきると広大な景色が眼前に広がっていて、その疲れは跡形もなく吹き飛んでしまいました。

 しばらくの間、その景色にみとれていたので、また竹原先生とゼミメンバーT氏を見失ってしまいました。

IMG_6805[2] IMG_6808[2] IMG_6815[1] IMG_6817[1] しかし、この場所から少し先に進んだ見晴台にその2人は待ってくれていました。

 この見晴台から見る景色は、先程見た景色よりも壮大で、かつ天気も快晴だったので、まさに記念写真の撮影にはもってこいの日です。

IMG_6823[1] IMG_6834[1] 石柱の正面にあるのが日本百名山の1つである恵那山で、標高は2189mあります。

IMG_6832[1]  ここまでくれば、馬籠宿はもう目と鼻の先です。

  見晴台を少し下ると、馬籠宿の高札場がお出迎え。ここからが馬籠宿への入口となります。

IMG_6844[1] 馬籠宿は、木曽十一宿の南端に位置する宿場町で、明治・大正・昭和にかけて活躍した文豪、島崎藤村が生まれた町としても有名です。

 馬籠宿は、斜面が急な坂の上に形成されているため、防火に必要な水が全体に行き届かず、幾度も大火災に見舞われた歴史があることから、古い建物はほとんど残っていません。

 しかし、石畳や道路を直角に折り曲げた桝形と呼ばれる地形は現在も残っており、かつての宿場町的景観を偲ぶことができます。

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 馬籠宿到着後、各自妻籠行きのバスが来るまで、馬籠宿を自由に見て廻りました。自分は馬籠宿の防火設備に注目して集落を廻っていると、天水桶の形をし、「火乃要鎮」と書かれた木箱がありました。

 その中をこっそり開けてみると、消火器が4個入っていました。このような木箱は自分が見つけた限りでは、表通りに4ヵ所ありましたが、20mおきに消火栓と消火用のホースが収納されている木箱が宿内に設置されている妻籠宿と比べると、防火設備は妻籠宿より充実しているとは言い難い印象を受けました。

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 そして、各自馬籠宿の散策を終えると、バス停に集まりバスが来るのを待ちました。その際、自分は野帳を紛失してしまったことに気付いたのですが、時間がなかったので、あきらめました(泣)。

 17時19分発のバスに乗車し、20分後に妻籠宿へ到着しました。到着後は駐車場に停めていたレンタカーに乗り、宿泊先である自由旅クラブ木曽三河家へと戻りました。

 これにて、怒涛のゼミ旅行3日目は終了です。1日中歩きっぱなしの1日でしたが、無事乗り切ることができました。

 今日で、今回のゼミ旅行のメインとなる妻籠宿調査は終了し、明日は樹齢400年程の杉が立ち並ぶ戸隠神社へと向かいます。

IMG_7561[1] IMG_7562[1]IMG_7563[1](3年 佐藤)

2018-09-18

竹原ゼミ旅行 2日目

 竹原ゼミ旅行の2日目は、今回の調査演習のメインと言える妻籠宿の調査に向かいました。

 

 宿泊した長野市内のホテルから、車で向かいました。道中には木曽十一宿の宿駅があるため、道路脇に宿駅があることを示す看板が見受けられます。

 

 

 奈良井1奈良井3途中で木曽十一宿のひとつである奈良井宿に立ち寄りました。

 奈良井宿は、重要伝統的建造物群保存地区になっており、宿駅としての景観が整えられた綺麗な場所です。あまり長い時間見学することはできませんでしたが、見ごたえのある場所でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 妻籠宿に到着して、まず初めに脇本陣奥谷を見学しました。

 脇本陣は明治10(1877)年に建て替えたもので、詩人・島崎藤村の初恋の女性の嫁ぎ先でもあるそうです。国の重要文化財に指定されており、江戸時代に使用を禁じられていたヒノキを使って建てられているのが特徴です。

妻籠脇本陣

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 脇本陣の裏手からは歴史資料館に行くことができます。資料館では南木曽町や木曽路の歴史、町並み保全運動等について展示されています。

 

 脇本陣を見学した後は、各々が事前に決めた調査テーマに沿って、妻籠宿の調査を自由に行いました。私は、脇本陣からほど近いところにある本陣を見学しに行きました。

妻籠本陣

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本陣は平成7(1995)年に復元されたもので、こちらは島崎藤村の母の生家であるそうです。大名が宿泊する上段の間の復元が見学できる他、間取り図を元に再現された模型や、資料の展示等もあります。

 

 本陣の見学後は、自分が定めたテーマを意識しながら妻籠宿の中を散策しました。

 

桝形の跡2

 寺下3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 妻籠宿には特徴的な桝形の地形があります。現在は新道が作られたため桝形の地形は失われていますが、この地形の跡が残っています。桝形の地形は、外敵の侵入を妨げる役割があったとされています(写真左上)。

 この桝形の跡から南へ進むと、寺下という地区に出ます。寺下は400年程の間火災に見舞われていない地区らしく、古い景観を良く残しています(写真右上)。

 

 

下嵯峨屋1上嵯峨屋

  寺下には、妻籠宿における庶民の住宅の形式をとどめる「下嵯峨屋」と、木賃宿と呼ばれる宿泊施設であったとされる「上嵯峨屋」というふたつの町指定有形文化財があり、どちらも自由に見学することができました。

 下嵯峨屋は昭和43(1968)年に、上嵯峨屋は昭和44(1969)年に解体復元され、現在のように保存されています(写真上が下嵯峨屋、写真下が上嵯峨屋)。

 

 

 

 

 

高札場

 

 

 

 

 

 

 

 

   妻籠宿の北側には、復元された高札場や、鯉の形をしているとして名所になっていた鯉岩がありました。鯉岩は明治24(1891)年に発生した濃尾大地震で倒れてしまったため、往時の姿を確認することはできません。鯉岩は、大変わかりずらいですが、左側にある階段から後ろに周り、上に上ることが可能でした。柵も何もないのでそれなりに危険ですが、のぼるととても眺めがいいです。鯉岩

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それぞれ調査テーマが違ったので、橋や道幅の長さを測っている人もいたようです。妻籠宿は見所が多く、端から端まで見学するとそれなりに時間がかかるので、非常に充実した調査を行うことができました。

 

 

 

 

 

 

2018-09-17

竹原ゼミ旅行 1日目

 竹原ゼミでは、8月20日~24日の日程で長野県へゼミ旅行に行ってきました。 

今回の主な目的は、長野県にある妻籠宿を中心とした宿場町についての現地調査です。

 

 1日目は、長野までの移動のため、新幹線で山形駅を出発し、大宮駅での乗り換えを経て長野駅へ向かいました。

到着したのはお昼頃で、昼食は「千成寿司」というお店で全員、とんかつ定食を食べました。

 

 午後からは門前町を散策しながら、国宝に指定されている善光寺へと向かいました。

長野県から善光寺までの十八丁(約2㎞)の道のりにわたって「丁石」という道しるべの石碑が、一丁(約109m)ごとに置かれていました。

 

 丁石

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歴史的な建造物と現代の建造物が混在した街並みで、観光地として景観づくりに力を入れている様子が伝わってきました。

 途中の

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 道

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

景観7

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3景観

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4景観

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 また、善光寺本堂でのお戒壇巡りがとても印象的でした。

本堂

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本堂入り口

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お戒壇巡り」とは、御本尊が安置されている床下にある真っ暗な回廊を歩き、「極楽の錠前」を探り当て秘仏の御本尊と血縁を果たすと、極楽浄土へ行くことができるといわれています。

 

暗闇の中を、一列に並んで右手で壁を伝って錠前を探しつつ、ゆっくり進んでいきました。

全く目が見えない状態のため、前の人との感覚がわからず、何度もぶつかりながらもなんとか出ることができました。

実際よりも時間が長く感じて、不思議な感覚でした。

 

肝心の「極楽の錠前」は、よくわからないまま終わってしまいましたが、なかなかできない体験ができて楽しかったです。

善光寺を訪れた際には、ぜひ体験してみてください。

 

その他にも、善光寺周辺はすべて見切れないほど、見どころがたくさんある良い所でした。

 

2仏像

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仁王像

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

竹原ゼミ旅行2日目に続きます。 

 

 

 

2017-06-20

板碑の拓本を採る

山口先生の歴史学応用演習の授業で板碑の拓本をとりました。

手軽な土器などと違い、モノが大きいので紙の密着や採拓に苦労しました。

気を抜くと墨ムラができてやり直し。

この経験をフィールドワークで出会った石碑の拓本採りにも生かしてください。

 

一関市教委の畠山篤雄さんありがとうございました。DSCN7055 DSCN7057 DSCN7065 DSCN7073

2016-02-18

第5回「前田村文書」研究報告会

1月27日に南原町公民館にて第5回「前田村文書」研究報告会を開催しました。

南原町公民館に収蔵されている古文書を読み解いて、その歴史を紹介する報告会です。

今回は文献史学ゼミの3年生が古文書を紹介しながら明治時代の用水について説明してくれました。

 

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【写真①】報告①「現在の前田堰」

 

 

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【写真2】報告①「現在の前田堰」

 

【写真3】報告②「明治8年の用水確保」

【写真3】報告②「明治8年の用水確保」

 

【写真4】報告③「狐塚の用水願い」

【写真4】報告③「狐塚の用水願い」

 

【写真5】報告④「「留水」の方法」

【写真5】報告④「「留水」の方法」

 

報告の後は地元の方々から用水をめぐるお話をうかがいました。また、古文書を読んだだけではわからなかった地名や用水利用の方法についてもご説明いただきました。

【写真6】古文書を見ながら解説

【写真6】古文書を見ながら解説

 

いくら一生懸命古文書を読んでも、読んでいるだけではわからないことがたくさんあります。

 

地元の方々にご教示いただきながら勉強することの重要性を改めて感じました。

2015-12-10

3年竹原ゼミ ゼミ旅行 最終日 

だいぶ期間があいてしまいましたが、ゼミ旅行最終日の様子を紹介します。

 

最終日は福岡県の県立九州歴史資料館と大宰府天満宮に行ってきました。

 

最初に行った九州歴史資料館は、古くから外交の窓口となっていた九州の歴史を明らかにするための研究とその成果を展示している歴史資料館です。考古資料や大宰府に関する資料が多く収蔵されています。

 

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 ガラス張りの建物で、中庭からは普段あまりみることが出来ない、文化財の整理作業や保存作業を見学することが出来るようになっていました。

 

主に館内ではバックヤードを中心に卒業生の先輩から案内していただき、研究や保存作業に使われる機材や収蔵庫などを見学しました。

特に全国で2番目に導入したという文化財専用のX線CTや研究途中の船原(ふなばる)遺跡の出土品はとても興味深いものでした。

 

 

次は最終目的地、太宰府天満宮です。

 

学問や芸術、文化の神様である菅原道真公を祀っている神社で、全国の天神さまを祀る神社の総本宮です。また、道真公の御墓所でもあります。

 

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御神牛です。みんなで頭を撫でて知恵を授かってきました。

 

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ガイドさんに案内していただいた後は、みんなで昼食を食べ、各自でお守りを買ったり、御朱印をいただいたり、国立九州博物館に行ってきたり・・・

 

この後は、福岡空港でラーメンを食べ、飛行機で仙台空港へ。

 

5日間のゼミ旅行はハプニングなどもありましたが、とても充実したものでした。

ゼミ旅行でお世話になった方々、本当にありがとうございました。

 

ここまで読んでいただきまして、ありがとうございました。 

2015-11-03

3年竹原ゼミ ゼミ旅行四日目

 

四日目は午前中に山口県下関市にあるしものせき水族館海響館に行ってきました。

生き物や自然環境について学習できる場所をコンセプトに作られた水族館で、展示されている水族は500種類以上です。水族館の中でも定番のエイやマンボウ、サメや今人気のチンアナゴなど様々な海洋生物がいました。フグが名物の下関らしく展示されたフグの種類も充実しています。

海響館2海響館3

 

充実した水族の中でも特にこの水族館はペンギンの展示に力を入れています。中でも、最大水深6mのペンギンプールにはイワトビペンギンやキングペンギンなど4種類を飼育しており世界最大級の規模で一番の見どころです。

 

また、アクアシアターではイルカとアシカによるステージがみられます。イルカやアシカが芸をすることは今ではそれほど珍しくありませんが、アシカがイルカに指示を出すステージは難易度が高いため珍しいものなのだそうです。海響館

さて…

下関を出発して次は福岡の門司港レトロ地区に行きました。

 まず最初に旧大阪商船と旧門司三井倶楽部をガイドの案内でまわりました。三井

 旧大阪商船は大正期に大陸航路の待合室として使われていたレンガ風木造2階建ての建物です。外観デザインはドイツ、オーストリアで興ったゼツェッシオン様式で、設計は大阪の建築士の草分けといわれる河合幾次が手がけました。オレンジ色と白のタイルが特徴のしゃれた建物で、八角形の塔は灯台としても使われていたといわれています。

 

3三井

三井2 旧門司三井倶楽部の建物は木造2階建てでアールデコ調のモダンなデザイン、外壁が木の柱や梁などを骨組みとして外に見せるハーフティンバー様式で縦、横を強調する木部のダークブラウンと白の窓枠とシックな壁色とのコントラストが複雑なデザインになっている建物です。

 建物の2階にアインシュタインイ博士夫妻が滞在した部屋がアインシュタインメモリアルルームとして復元されている場所があり、アインシュタインが使っていたベッドなどが展示されていました。

 2つの建物を見て回って大正ロマンが感じる取れる建物であり、普段見る機会がほとんどない西洋風の建物が見ることができてよかったです。

 

次に旧門司税関に行ってきました。

門司税関

 旧門司税関は、瓦葺2階建て構造の煉瓦造りの建物でありレトロ地区では最も古い建物です。

建物の中の展示室に税関の仕事や旧門司税関の修復の過程、図面や写真などが展示されていました。修復の過程を見て、レンガを特注したり、屋根を全体の架け替え当時の姿に戻したり、補修として基礎、ひび割れ、飾り石の部分が行われていたりなど工事したことで写真のような美しい建物が生まれたかなと感じました…

 

 旧門司税関の次に関門海峡ミュージアム(海峡ドラマシップ)に行きました。海峡ドラマシップ

 

この建物は、無料ゾーンと有料ゾーンがあって両方見たかったのですが見られる時間がなかったので今回私は無料ゾーンの方に行きました。

海峡ドラマシップ2

3海峡ドラマシップ無料ゾーンでは大正ロマンが漂う門司港の街並みを再現していて、かつて門司港に実在した大正ロマンの薫り漂う建築物や路面電車などを復元されています。本格的に再現されているので過去にタイムスリップしたような感覚になりました…次行く機会があったら有料ゾーンの方に行きたいです。

 

 

以上、ゼミ旅行4日目でした。

次回は最終日の5日目の様子を紹介します!

2015-10-21

3年竹原ゼミ ゼミ旅行2日目

2日目は、はじめに厳島神社に行きました。 あいにくの雨でしたが、満潮と重なり水位がさらに増してしまい建物が浸水するという貴重な体験をすることができました。

厳島神社鳥居

厳島神社波しぶき

日本三景のひとつであり、文化遺産として世界遺産となっている厳島神社を実際に見てみて、平安時代の建築様式や宗教的空間を感じ取ることができました。

 

 

厳島神社のあとは錦帯橋に行きました。錦帯橋は岩国の錦川に架かる橋で、江戸時代に作られ昭和まで流されることがなかったそうです。

DSC_0142

5つのアーチをつなげて1つの大きな橋になっています。

 

この日は雨で川が増水していました。橋ができる以前は渡し船で川を行き来していたそうなので、この水量と同じくらいだと危なかったのではないかと思います。安全に川を渡りたいという橋を作った人たちの思いを感じることもできました。

錦帯橋

現在の錦帯橋は昭和に流されたあと再建されたもので、さらに平成になって改修が加えられたとのことです。

 

錦帯橋見学のあとは宿のある萩にむかいます。山口県内でしたが岩国から萩は遠かったです。

 

2日目は以上で終了です。3日目は萩での散策の様子をお伝えします。

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