こんにちは。文献ゼミの「日本髪」です。掛け持ちのゼミでは「牡丹の君」を名乗っています。
本日、文献ゼミでは、ゼミの終了後に今週末に迫ったオープンキャンパスの準備をしました!
それでは何をしてるのか紹介していきます!
まずは、学生が語るフィールド体験の準備です。
当日、文献ゼミで発表するのは「由利十二党」さんです。
文献ゼミの代表として頑張ってください。
パソコンで当日発表のスライドを作っています。
何を発表するか、先生と打ち合わせ中です。
7月15〜17日に一関市博物館で古文書の整理をしてきました。
今年は学生と一緒に調査に行くことが多いのですが、今回は一人でした。
調査は時間との戦いでもあるので、お昼は食べないことが多いです。朝に作業室に入り、トイレに1回でるくらいで、あとは作業室にこもりっきりです。それが3日間です。でも、去年はそんな調査を5日間やったことがありました。
一人だったので画像もないです。
さみしい記事ですみません・・・
文献ゼミの「病気」(仮)です。
7月1日に文献ゼミを影で支えてくれている「漁村」さんと一緒に酒田・鶴岡方面へ史料調査に行ってきました。目的は、東北文化研究センターで取り組んでいるオープン・リサーチ・センター整備事業の一環で、飛島関係史料の収集です。
カーナビに教えれらながらも、なぜか何度も回り道をしながらようやく酒田市立資料館に到着。いろいろと史料を教えていただきました。
お昼に海鮮丼を食べて、いざ鶴岡へ。
はじめての致道博物館は、民具のすばらしさに圧倒されました。多層民家はまさに威風堂々!ここ1週間は雨の日ばかりでしたが、当日はよく晴れてゆっくりと散策することができました。思わず、自分の影を撮影してしまいました。
最後は鶴岡市郷土資料館です。ここでは2人並んで史料の撮影を行いました。ここには最近「歴さんブログ」を席巻している「戊辰戦争」さんに関係する史料があると聞いていたのですがタイムオーバー…時間がありませんでした。でも、何かありそうな雰囲気は感じました。
今度ゆっくり見に行くことにします。
こんにちは、歴産ブログ界の真○かをりを目指す戊辰戦争(仮名)です。
前回の文献ゼミ生たちのあだ名(卒論テーマより)について。
皆さんからは「誰が誰かバレバレ」「阿古屋だけ可愛い」「ちょっ、私、島流し…」などのご意見・ご感想・クレームを賜りました。そのわりには前回のあだ名を凌ぐ強烈なパンチの利いた代替案はなかなか出ず。とりあえず、あだ名はこのまま変更しませんが、妙案は随時募集中です。皆さんふるってご応募下さい。
さて、6/29の歴史遺産文献購読終了後、文献ゼミの面々が待ちに待っていた「例のブツ」が遂に到着しました。
せえーの!
ジャーン。
ジャジャーン。
先生に「実現不可能な妄想は大概にしろ」と言われていたゼミジャージとゼミTシャツです。
我々は鼻で笑われた悔しさをバネに作ってやりました。
かつて自分が一笑に付した学生たちの妄想がかたちになった現実に先生はさぞかし恐れ入ったことでしょう。刮目せよ!これが平成生まれの本気なり!
着用例は以下の画像の通り。
【戊辰戦争のひと口ファッションコラム】
眩暈がするほどダサいと定評のある小豆色のジャージの胸元にはおしゃれに漢字で研究室名の刺繍。肩口から袖にかけての三本ラインが身体をシャープに見せます!
スタイリッシュな黒のTシャツの胸元にはひらがなで可愛らしく研究室名のプリント。背中には文献ゼミの座右の銘の「一次史料」、肩にはかなりレトロに今年の十干十二支、これを着て歩けば街行くみんなの視線を釘付け!
これで今年のトレンド先取り間違いなし!!(上半期終わりましたが)
今年の7/31と8/1にあるオープンキャンパスでは何かと影が薄いと囁かれる我ら文献ゼミ生たちがこの格好で参加する予定です。どうぞ見かけた際には話しかけてやって下さい。
午後からは史料撮影に入りました。
私と島流しさんは、午前中と同じく中村さんの指導の下、事前に中性紙に袋詰めされていた文書を取り出して撮影の手伝いをしました。
浅立諏訪神社収蔵文書の中には「伊勢道中記」や「京道中記」などと記された江戸時代の浅立村の住人が書いた旅行記、米沢藩の上杉弾正殿から送られたと思われる新春の挨拶状(血痕のような赤い点アリ)、一行の半分に及んで人という字が繰り返し綴られたもの(手に書くだけでは治まらないほど緊張していたのか)など、新たな発見にドキドキしました。
作業終了時間になると、みんな自主的に社務所の片付けと掃除して、お世話になった沼沢さんと外部の方々にご挨拶した後に帰路につくことになりました。
お疲れさまでした!
諏訪神社を管理なさっている沼沢さんにご挨拶した後にさっそく史料整理を開始しました。
学生たちの中の経験者は一関市博物館に参加した日本髪さんのみ。
その他のビギナーたちは竹原先生の先輩や後輩にあたる学外の方々からご指導頂くために数人のグループに分かれました。
私と島流しさんは東文研の中村さんといっしょに、浅立諏訪神社収蔵文書の中の「掛物」を、中性紙の袋に入れていく作業をしました。掛物には歴代天皇陵の図絵や幕末の浅立村の宗門改帳から村民分布を調べたものなど、興味深い文書がたくさんありました。
正午になると、隠れ蕎麦屋の里「さんご」にお昼を食べに向かいました。
お店の外観はなかなか雰囲気のある日本家屋。空腹が相まって高まる期待。
店員さん「いらっしゃいませ〜。何名様ですか?」
我々「10名です」
店員さん「エッ」
思わぬ大人数に店員さんからびっくりされました。
おまけに、竹原先生の後輩にあたる外部の方の一人が、我々学生たちに馴染むあまりに存在を忘れられる悲劇。実際は11人です。ちゃんと全員無事に美味しくお蕎麦を食べました。
諏訪神社を管理なさっている沼沢さんにご挨拶した後にさっそく史料整理を開始しました。
学生たちの中の経験者は一関市博物館に参加した日本髪さんのみ。
その他のビギナーたちは竹原先生の先輩や後輩にあたる学外の方々からご指導頂くために数人のグループに分かれました。
私と島流しさんは東文研の中村さんといっしょに、浅立諏訪神社収蔵文書の中の「掛物」を、中性紙の袋に入れていく作業をしました。掛物には歴代天皇陵の図絵や幕末の浅立村の宗門改帳から村民分布を調べたものなど、興味深い文書がたくさんありました。
正午になると、隠れ蕎麦屋の里「さんご」にお昼を食べに向かいました。
実は、この蕎麦屋さん、午前中に由利十二党くんが数多の煩悩を打ち消さんばかりに撞いた神社の鐘を奉納した方の子孫のお店です。お店の外観はなかなか雰囲気のある日本家屋。空腹が相まって高まる期待。
店員さん「いらっしゃいませ〜。何名様ですか?」
我々「10名です」
店員さん「エッ」
思わぬ大人数に店員さんからびっくりされました。
おまけに、竹原先生の後輩にあたる外部の方の一人が、我々学生たちに馴染むあまりに存在を忘れられる悲劇。実際は11人です。ちゃんと全員無事に美味しくお蕎麦を食べました。
浅立諏訪神社の収蔵文書調査日はあいにくの雨。
私こと戊辰戦争(仮名)が、積み下ろし作業の時間を考え、15分ほど早く集合場所の図書館前に到着したところ誰一人いませんでした。先生の姿すら見えません。……あれ?
しばらく佇んでいると、阿古屋(仮名)と島流し(仮名)、和菓子(仮名)と由利十二党(仮名)、日本髪(仮名)の順に到着。先生は最後に満を持してのご登場。集合時間ぴったり。
そこから芸工大の車に乗って浅立諏訪神社に向かいました。
カーナビと格闘する竹原先生と中村さん。呑気に応援する文献ゼミ生。みんな仲良しです。
諏訪神社には予定より早く着いたために時間まで境内を散策することになりました。
みんなが思わず食いついたのは参拝者は自由に鳴らして構わない鐘。
文献ゼミの中の「我こそは!」という志願者が、掛札の言葉にしたがって、平和を祈りながら三回鳴らしました。感心なことに、由利十二党くんは平和への思いが人一倍強いのか、鐘を合計六回ほど打ち鳴らしていましたが。ご近隣の方々には大変ご迷惑をおかけしました。
この後に本格的に史料整理に入りました。
はじめまして、文献ゼミの戊辰戦争(仮名)です。
今回は試験的に三年生たちのあだ名を各人の卒論テーマから取りました。今からブーイングの予感がひしひし。反対意見が多い場合は「好物シリーズ」か「戦隊カラーシリーズ」などを考えています。
6/27に西置賜郡白鷹町浅立諏訪神社の収蔵文書調査がありました。
参加者は3年生が6人、学外の方が3人、あとは竹原先生と東文研の中村さんです。
浅立諏訪神社の成り立ちはというと、慶長17(1612)年、諏訪堰の開削という大事業を成し遂げた沼沢伊勢が諏訪の神に感謝する意味で社殿を建立。天保13(1842)年には「勅宣正一位」を得ました。とにかく百聞は一見に如かず!写真をどうぞ!