9月7日、文献史学の佐藤ゼミ・竹原ゼミによるゼミ旅行4日目は熊本県熊本市内の研修でした。前日の天気予報は雨でしたが問題なく晴れでした。
はじめの見学場所は熊本城でした。建ち並ぶ黒い天守閣、櫓、塀などの建造物に武者返しを備える広大な石垣、その曲線美、さすが日本三名城のひとつと呼ばれるだけあり圧巻でした。かっこいい!!
天気予報とは裏腹に本日も日差しが強い…。でもガイドさんによると熊本では涼しいほうらしかったです。
大天守閣や小天守閣、各城門などは復元した建造物であるが、宇土櫓は約400年前の築城当時から現存している貴重な国指定重要文化財でありながら中に入って見学することができ、当時のままの床板や柱を間近に感じることができて感動でした。
2時間以上にわたりほぼノンストップで案内してくださったガイドさん本当にありがとうございました。
次に訪れたのが旧細川刑部邸です。
熊本藩54万石細川家の一門として代々家老を務めた上級武家屋敷とのことで、玄関の造りや絵の施された板戸など拡張の高さをうかがえる邸宅でした。
庭園はモミジなどの紅葉樹木が多くあったので秋に来るとさらに綺麗だろうなと感じました。
9月4日、文献史学分野の佐藤・竹原両ゼミで長崎・熊本への4泊5日の研修旅行に行きました。
今日は最初の一日目。
台風17号が鹿児島へ上陸したとの情報もあり長崎への天候を心配する声もありましたが、いざ着いてみる晴れていたので旅行日和だったと思います。
まず、訪れたのはグラバー園です。 ガイドさんからの話は事前に調べた情報だけでは分からない詳しい情報を知ることが出来ました。
次に大浦天主堂に向かいました。
現在、この場所を含め「長崎の教会群とキリスト教関連施設」として世界遺産登録を目指していることで話題になっています。
そのような場所に今、この時期に訪れたことは貴重な経験でした。 ステンドグラスや絵画、聖母マリア像など彫刻の完成度ともに神聖さを感じました。
夕食はトルコライス!! 訪れたお店は著名人も訪れる有名店!! たくさんサインありました。 一度食べたら完食するまで手が止まりませんでした。
最後に一日目の締めくくりとして稲佐山展望台に訪れました。 モナコ、香港と並び、「新世界三大夜景」の一つとして挙げられるとの事です。 感想としましては、「1000万ドルの夜景」と称される理由を体感出来ると思います。 長崎の坂の土地を活かした夜景は実際目で見る事によってその価値が分かると思います。
明日はどのような新しい発見があるのか楽しみです。
更新忘れなだけに「庚申塔」の拓本を…なんて…
………すみません。
7月12日、第四回目のチュートリアルを行いました。
天気もこの時期不安定ですから、雨が降らなくて本当に良かったです。
今回は、前回途中になってしまっていた石碑の調査からスタートです。
私が担当したのは、前回の更新ラストにもあった、石行寺の上の謎の建物の前にあった石碑です。
まあ、正確には謎の建物ではなく日吉神社っていう神社なんですけどね。
で、その石碑も名前が多くて多くて…正直しんどかったですね(笑)
そのあとは、余った時間で拓本の練習をしました。
今回は半紙にやったので、若干勝手が違いましたが…まあ、悪くはなかったんじゃないんでしょうかね…多分。
さっきの寒いギャグに使った庚申塔の拓本はその時に取ったやつです。
ちなみに今回は、前期ラストのチュートリアルでした。
そして、今日はゼミのみんなで後期に行く予定の場所を下見してきました。
どんな場所で活動するのかは、ゼミ以外の人は後期になってからのお楽しみってわけです。
どうぞお楽しみに–!!
6月21日に石碑チュートリアルに行ってきました。
今回は14時集合ではじめました。人数はいつもより少なめでした。
今回も、先輩たちが以前に調査した石行寺岩波観音堂の石碑を確認しに行きました。
前回の残りの分です。
今回も石碑の確認が順調にいくと思ってましたが…
この石碑遠くから見るとよくわかりませんが一面に文字がびっしりと書かれてます。
全て書き写さなければいけないということだったので頑張りました。
残念ながら時間になってしまい次回への持越しとなってしまいましたが、半分位は終わりました。
この他にも 入口の鳥居付近でサイズは小さめですが、文字がびっしりと書かれた石碑がありました。
こちらは先生の協力のおかげで時間内に書き写すことができました。
写真で持ってるのは懐中電灯です。石碑に書かれた文字を読みやすくしてくれます。
石行寺を上に進むと古い建物がありました。
こちらはまだ調査中ということだったので、これから調べていくかもしれません。
どんなことがわかるか楽しみです。
山王窟を見たあと、バスで移動し、いよいよ骨寺荘園内の散策に出発です!!
ガイドの金野さんの後に続き村の西に位置する駒形根(こまがたね)神社から骨寺の稲作には欠かすことのできない重要な川「本寺川」沿いに東へ移動していきました。この日は天気も良く気温もかなり高かったため、みんな熱中症に気を付けながら、金野さんの説明を聞いていました。
これが、骨寺が国の重要文化的景観に選ばれている理由になっている水田。少し見えづらいが後ろの水田と比べると大きさが明らかに違うのが分かる。
どの屋敷も屋敷の北側、若しくは西側に「エグネ」と呼ばれる防風林が冬の冷たい風から屋敷を守るために植えられている。
このような風景を見ながら荘園内を散策していきました。そして、最後に向かったのは村の西の端に位置する慈恵塚(じえづか)、慈恵大師拝殿でした。私有地のため、普段は立ち入ることはできないのですが、今回はガイドさんが同行してくれたため特別に入ることができました。ところで、なぜ本寺地区が骨寺と呼ばれていたか気になりませんか?実は本寺地区には「ドクロ伝説」と呼ばれるものが残っており、それが骨寺の由来となったという説があるのです。今回は慈恵塚に登ったところで、その「ドクロ伝説」の話をガイドの金野さんから聞くことができました。方言で語られる話にみんな耳をかたむけていました。
その後下山して慈恵大師拝殿へいきました。ここは慈恵大師を祀っている神社で、冬に行われる骨寺村荘園米納めでは安全祈願のために使われています。
本当ならこの後不動窟(ふどうのいわや)に行く予定でしたが時間の関係上なくなってしまいました。最後にお世話になったガイドの金野さんにお礼を言って今回の調査は終了でした!!
あんなにすごい田園風景を見る機会は中々ないので今回は貴重な体験になったと思います!!!
一関博物館を見学したあと、博物館の隣にある道の駅厳美渓で昼食を済ませ、次に向かったのは骨寺村荘園交流館【若神子亭】でした。ここでは、骨寺の魅力を紹介するムービーや模型などがとても分かりやすく展示してあり、初めて骨寺を訪れた人にも親しみをもってもらえるような工夫がしてありました。その後、ガイドの金野さんとここで合流し、まずは骨寺から少し離れたところにある山王窟(さんのうのいわや)までバスで移動しました。山王窟はかなり高い場所にあり、骨寺においては重要な役割を果たしていたようです。ちなみに昔は登ることができたらしいですが、現在は私有地及び登るのに危険な悪路を通らなければならないため立ち入り禁止になっています。
次は骨寺地区を自分たちの足を使って散策してきた様子をお伝えします。
更新遅れました。6月2日の日曜日、2年生は歴史学応用演習1の授業の一環で「骨寺村」(現・岩手県一関市厳美町本寺地区)に行ってきました。骨寺は中世の田園風景が現存しているなどの理由から国の重要文化的景観に選定されています。今回は実際にここを歩いてきました。
最初は一関市博物館に行き、博物館2階にて骨寺村の歴史や骨寺村絵図、平泉と骨寺村の関係を学芸員の磯部さんに説明していただきました。また、企画展「お姫様のお国入り」が行われており、男性中心だったとされる近世において、女性同士のやりとりやつながりがあったことも丁寧に説明していただきました。一方、博物館1階には骨寺を紹介するパネルが展示されており、絵図の完成を目指すパズルも置いてありました。これなら小さいお子さんにも楽しんでもらえるのでは?と、ふと思いました。
6月7日、約一か月ぶりの石碑チュートリアルです!
天気は曇りでしたが、まあ…あまり暑くなくて丁度よかったかもしれません。
今回は13時から活動でした。
私は14時からの参加だったので、その間のことは分からないのですが…。
13時組と14時組が合流した後、まず向かったのは【姥神】です。
やまぶきロードという道を登っていくと見えてきます。
凄く、見られているような気がします…。
ここは、去年の先輩方が調査しているのですが、改めて確認しに来ました。
方位磁石を使った石碑の向きの確認を始めとして、GPSでの位置測定や、赤外線を出すハイテクな計測機械で寸法を測りなおしてみたり。
そして、次に向かったのは【石行寺・岩波観音堂】
立派なお寺です。
まずは、こちらにも石碑がありますので、先ほどと同じように石碑の計測確認を行いました。
そして、今回のメインとも言えるかもしれません…
『拓本』
とってみました。
まずは、石碑についた苔などを、ブラシで落とします。
優しく、優しく!
ある程度落ちてきたら、霧吹きで石碑を濡らします。
そして、濡れた表面に紙を張り付けて、その上からまた霧吹きで万遍なく湿らせます。
濡らさないと、紙が落ちてきちゃうんですね。
あとは、墨ののりが悪くなるのかもしれません。
ちょっと下の方、皺が寄っています…。
嫌な予感。
とりあえず、墨をつけてみます。
拓本用の墨ってあるんですね。
タンポというものに墨をつけて、トントンと叩くように紙に墨をつけていきます。
ですが、これがなかなか重労働でした…。
一度に4人での作業。
しかも途中で交代したにも拘らず、この作業に10分近くはかかったかもしれません。
一人でこれをやっていたら…。
想像したくないですね。
何はともあれ、全体に墨をつけ終わりました。
写真では少し見にくいかもしれませんが、文字が彫ってある場所が浮き上がって見えます。
あとは、この拓本を石碑から慎重に取り外し、慎重に新聞で包みました。
ただ、意外とこの紙は水に強いようで、そこまで慎重にしなくてもよかったみたいです。
とはいえ、用心するに越したことはないのですが。
霧吹きで濡らしましたから、乾くまでは先生の部屋に保管です。
とりあえず、今回のチュートリアルは終わりです。
恐らく、先生以外はみんな拓本を取るのは初めてです。
さて、人生初の拓本は…
やっぱり、下の方に皺が寄っちゃっていて、少し見にくかったですね。
でも、これから何度もやっていけば、いいのが取れるはずです。
精進あるのみ!!
次回からは、金曜14時から17時までの活動になります。ちなみに、基本二週間に一度です。
この通り、人手がいる作業ですから、多くの方の参加をお待ちしてます。
5月11日土曜日待ちに待った佐藤先生が中心となって行われる石碑調査のチュートリアルが本格的に始動しました。
このチュートリアルでは地域の生きた証である石碑を調査して、地域に残された歴史を紐解く事を目的としています。
その中で石碑などの野外調査の具体的方法を学ぶとともに、みんなで楽しく自然に親しみながらやっていこうとしています。
今日はその記念するべき第1回目なのに空はあいにくの雨模様…
そのため教室での佐藤先生の石碑調査の説明の後に、映像資料を視聴することになりました。
今回、視聴した資料は滝山地区の横根という地域での言い伝えや伝説についての調査が主な内容となっていました。
映像中でも横根にある石碑を調査する様子がありました。
皆さん真剣になって視聴しております。
映像の視聴後、石碑調査の説明の際に調査例として挙げられた月山神社へ行くことになりました。
月山神社は芸工大の近くにあるので雨が降っていても大丈夫だろうとの事でしたが、だんだん強くなっていく雨に皆さん傘を差していても濡れてしまう有様でした。
そうこうしている間に月山神社に到着。
最初にお参りをした後、調査例の挙げられた石碑の資料と本物の石碑を比較しました。
皆さん、なんとかして石碑の文字を読もうと格闘しておりました。
その後、本日のチュートリアルは終了、解散となりました。
本日の感想としましては、1年生も参加していたのが印象に残りました。
1年生には大変かもしれませんが、石碑や滝山の歴史に興味を持ってもらえると嬉しいです。
もっと、参加してくれる学生が増えてもらえればと感じました。
その一方で、悪天候だったのが悔やまれます。
天気が良ければもっと多くの石碑と巡り合うことが出来たのですが…
次回のチュートリアルに期待したいと思います。
4月30日に佐藤先生と佐藤ゼミの3・4年生とで山寺へと行ってきました。
目的は50年に一度御開帳される薬師如来像を見ることです。
この薬師如来像は根本中堂に安置されている国指定重要文化財です。
今見とかないと次に見れるときにはもうお爺さん・お婆さんです。そう考えると非常に貴重なチャンスですよね。
ここが薬師如来像が安置されている根本中堂です。
薬師如来像は写真で撮ることはできませんでした。ぜひご自分の目で見てみてください。見ただけで御利益がありそうなそんな感じがしました。
薬師如来像を見たあとは石段を登って行きました。すごくきつかったです。日ごろの運動不足が露呈する結果になりました。
途中のお土産屋さんで石段を登っていた女性に声をかけていただけました。
「どこの学生さん?」「何をしているの?」こういった会話は実際に登ってみないと体験できませんし、山登りの醍醐味である部分だと思います。
五大堂から見た景色。町が一望できます。
修行の岩屋。どうやって建造したのかすごく気になります。
5月7日には3年生で今回の活動でどういったことに気が付いたか話し合いました。
後生車の鯉幟や石段のわきに置かれているお地蔵さん、不滅の火の取り扱いなどそれぞれ違う見方があり、自分の気が付かなかったような疑問点や視点を知ることができました。
3年生の話の中で気になった問題として五大堂の落書きのひどさが挙げられたのですが、本当にすごかったです。
日本だけでなく世界でも遺跡などへの落書き問題が深刻といわれてますが、実際に見てみると酷いというレベルを超えているような気がしました。せっかくのきれいな景色なのに落書きのせいで魅力半減です。残念で仕方ないです。
こういった問題は人々の良心に訴えていかなくては解決しない問題であり、このことについてもう少し考えて自分なりの答えを出したいと感じました。