久しぶりの投稿になります。ライスです!!
今年もあと3日で終わってしまいますね…。今年1年、皆さんはどうでしたか?私は、忙しい日々が毎日続いてばかりで、ある意味充実してこの1年を過ごせたかなぁ?と思います。
さて、本題に入りましょう。
12月21日に、今年最後の佐藤ゼミがありました。発表したのは、都合により私1人だけです…。ちょっと寂しい気はしましたが、気を取り直して、頑張って発表させていただきました!!
発表内容は、「御徒組と先祖の繋がり」についてです。
前回の発表では、「分限帳」という史料を基に発表しました。ですが、その史料のくずし字を全て読むことができず、深く内容を追求することができませんでした。なので、今回の発表では、読みきれなかったくずし字の内容と前回の質問に対する説明を中心に発表していきました。
PS:今回も史料と画像が多くて、ゼミの皆さんにはページをめくる際、苦労をかけたと思います…。(汗)
ゼミの最後に、余った時間を利用して、青本を使いゼミの皆で互の短所・長所を見つめ直す…なんてこともやりました。
自分の短所・長所を10分で青本に書いたのですが、これがなかなか書けないっ!!短所はスラスラと書けるのに、長所は全く書けなかったです…。
その後は、皆で、その人の短所を長所に変えていきました。なんだか、心が軽くなったような気がします!
今度の佐藤ゼミは、来年になります。なので、今度の発表者は時間的にも余裕があるわけです!なので、来年のゼミの発表者には期待しておこうかな?と思っています。(笑)
皆さん、良いお年をお過ごし下さい!!
2012年も残り10日を切りました。一年とは早いものだなぁとしみじみ感じますね、KUSSYです。少しばかり報告が遅れましたが12月9日に岩手県一関市骨寺地区にて行われた『中尊寺米納め』へ参加してきました。この催しは、中世の頃より強い結びつきを持っていた骨寺荘園と平泉中尊寺の一端を現代に復活させ、この伝統を未来へと継承していくことを目的とし、その年に収穫した荘園米を中尊寺に奉納するというものです。
前夜からの降雪により、骨寺は一面の銀世界となっていました。白装束や荘園米を担いだ蓑の行列と雪景色がマッチして、夢か現実かと思われるほど幻想的な光景でした。駒形根神社~慈恵大師拝殿までの雪で隠れてしまった田園沿いの道を進み、途中にバス移動も挿みながら平泉中尊寺拝殿まで巡行し米を納めました。
骨寺地区のお爺さん・お婆さんから地元の小学生までと米納め参加者年齢は幅広く、この様にして上の世代から下の世代へと伝統の継承が行われつつ、中尊寺と骨寺との結び付きも継続していくのだと感じました。
余談ですが、駒形根神社で頂いた甘酒が大変おいしかったです!甘酒と雪景色の組み合わせに風情を感じました!
私の更新が遅いからこうなるのです
本当にすみません、いつも迷惑かけまくりなトラブルメーカーボーダーです。
最近は、パソコンと自分の体調の不良がいつくるのか、それにビクビクしながら生きてます。
パーカーさんが先に更新してましたが、このお話はその前の前の話になります。
Kさんと私の発表です。
Kさんは、おなじみ上杉謙信について。今回は、軍事面ということで川中島の戦いを例に戦略や軍功について発表されました。
今でも有名な川中島の戦いですが、実は私この発表を聞くまではほとんど知りませんでした(テヘペロ☆)。
私は、前回同様月事について。今回は『蜻蛉日記』なんかも使って女性視点から月事について考え、たかったんですけどね。
できませんでしたね。
卒論テーマもそろそろ絞れてきたかんじでしょうか。
私は、就活がなかなか進みません、圧倒的に足りない(エントリー数)。
載せるほどの画像もないのでここらへんで失礼します。
当日はあいにく小雨がぱらつく天気(この後本格的な雪!)となってしまいましたが、2年生の歴史学応用演習で長谷堂城に行ってきました。
はじめに本沢コミュニティーセンターの大沼さんに、長谷堂城の要所要所にて城のつくりや仕掛けなどをご説明いただきました。長谷堂城から上杉軍陣屋までの距離や山形城の方角など、お話を伺いながら実際に見ることができました。
日頃授業で読んできた、最上義光や伊達政宗の書状の内容など、改めて実感できたひとときです。
このあと場所を本沢コミュニティーセンターに移し、ボランティアガイドの会会長の伊藤さんから、慶長出羽合戦について、身振り手振りを交えてのお話を伺いました。
この合戦に由来して、いまでも十三夜の月見の餅は急いで食べなければならないという伝承など、地元に言い伝えられてきた興味深いお話が盛りだくさんでした。
お寒いなか我々のために現地でいろいろとご案内いただいた大沼さん、また熱い思いがひしひしと伝わってくる語り口の伊藤さん、本当にありがとうございました。
すっかり、寒くなり、雪も降り、風邪も流行に乗ってきました。
朝と夜が寒いので、みなさん風邪には気を付けましょう!
なぜなら、佐藤ゼミは前に週ごとに風邪をこじらせる人が連続したので…。
それなのにアイス食べたいとか言ってすみません。反省はしていませんが、言っとくだけ言っておきます。
さて、今回は、わたくしパーカーとstagさんと先々週の(もう先週の話なので)弁慶さんの史料の残りを発表しました。
なので、弁慶さんの発表は、先々週担当の人に任せます。
では、発表の内容の方に移ります。
まず、一コマ目のstagさんの発表は「大石田河岸における最上川差配」についてでした。
狙いは大石田河岸の利用方で、中でも最上川差配を重点的においたそうです。
大石田河岸は、最上川流域中部に位置し、上流には三難所を控えた中継河岸とされ、領主的運輸機構の中枢として発展した。
最上川船差配では、村役人が船肝煎を兼帯、他に船差と呼ばれる船問屋によって行われ、通船毎に取り立てた差配料、商荷運賃の十分の一庭銭の分配を行った。大石田河岸における川船差配は、村請の形で請け負われ、これに船方の代表として船差が加わる形となっている。
上記は、レジュメから一部抜粋してきました。
他に史料を読んで気になったワード「登荷物」
これが大石田から酒田を抜け大坂へ送られると説明にありましたが、船の航路を表すものなのか荷物自体をさすのか気になるところでした。
他には、古手ですね。”ふるて”と読むそうです。
中古品のことで古着も含まれるそうです。
廻船のことについては、知識が無いので毎回発表される度に勉強になっています。
次いで、私の発表です。
時間的に40~45分くらいしかなかったと記憶しています。
その中で急ぎ足で発表しました。
今回も義経関係で、テーマは「義経伝説と義経神社」です。
義経神社は、私の地元北海道平取町にある神社です。
平取は”びらとり”と読みます。間違えてひらとりと読まれるので念を押しておきます。びらとりです。大事なことなので二回言いました。
では、内容です。狙いは、義経伝説と義経神社の記述を重点的に調査しました。
義経伝説の記述では、義経が平泉を逃れ蝦夷に逃れたという記述と義経意外にも安倍氏と呼ばれる一族内でも敗戦後蝦夷に逃れるという逃げ道の手段があったようで、藤原泰衡も蝦夷に逃れようとして肥内群贄柵で討ち取られた。しかし、義経が蝦夷に逃れたという説は、裏付けがあるわけではないので、史実とはされていない。
義経神社では、創建説が諸説あり、一般的には1799年幕史近藤重蔵が蝦夷地探検で訪れ、義経がアイヌの人々に信仰されていることを知り、翌年に神田の仏工に彫らせた義経像を平取のハヨピラに寄進したのが始まりとされている。なお、この義経はアイヌの英雄神オキクルミと同一よ見られている記述が新井白石の『蝦夷志』などに記されている。
上記は、レジュメの一部を簡単にまとめたものです。
今回も決定づけるような史料を見つけてくることができず、調査対象が北海道なので書籍も山形の図書館では少ないことが仇となりました。
次回の発表は冬休み明けなので、現地に調査しに行ってきます。
では、長くなりましたが、ここでパーカーからの発表報告を終わらせていただきます。
画像は、stagさんの使った史料とわたしの蝦夷志の一部です。
ふじさん!パソコンは大事にしますよ!!
大変おひさしぶりですね、ふじです。
先日このブログを更新しようとしたところ
パソコンが動かなくなりました
もちろんそれだけが理由ではありませんが、、、
ところで、先々週もゼミのメンバーでパソコンが壊れた人がいました。
歴産3年生の学生は、これから卒論でパソコンを使う機会が増えていきます。
使用時間はもちろん、資料とパワポ作成でパソコンにガンガン負荷をかけていくと…
ぷちん。
ってキレちゃうんですね、ハイ。みなさんもどうか気をつけてください…
さて上記に絡めて本題ですが、いつも授業の様子ばかりなので、今回は授業のために使う資料(レジュメ)に注目して感想書きますよ。
たとえば同ゼミのライスさんは、なんと崩し字の史料の解読を数週間にわたって訳して資料を作っています。私がゼミ室に入るとそこには事典片手に悪戦苦闘のライスさんと先生が…
また、使いたい史料がメンバー同士でバッチングするという事例もあります。とくに「枕草子」が牛車と月経の両方で重要参考資料だったので大変だったよね…
そのほか、史料が無い、あっても散逸している(代表事例:最上)などなど…
こんな感じで血と汗と涙の結晶として出来上がるのが発表資料つまりレジュメなのです。卒論のこともあるのでウチのゼミのメンバーは皆パソコンで作っているようです。
なので…
みなさんくれぐれもパソコン様の機嫌を損ねないように!!
こんにちは、佐藤ゼミのトマトです。
とても遅くなりましたが、先週の佐藤ゼミの様子をお届けします。
実は昨日が今週のはっぴょ(ごにょごにょ)
気を取り直して、先週はパーカーさんと私の番でした。
パーカーさんの発表は「源義経」について。
義経と兄・頼朝の対面から、頼朝と対立し、藤原秀衡を頼り奥州を目指すまでを、『吾妻鏡』を使いながら見ました。個人的に義経は好きなので、聞いていて面白かったです。吾妻鏡をスラスラと読んでいくので、すごいなと思いながら聞いてました。
私は「日記からみる牛車の使用」ということで、『蜻蛉日記』『枕草子』『紫式部日記』『更級日記』の4つから牛車をみてみました。植物を使って牛車を装飾したり、対照的に金色の金具で装飾していたり、牛車を舟に載せて川を渡ったり、などの様子がみえました。
あとは、フィールドワークの提出物の締め切りが近付いてきました。
B班は、拓本がやばいです。がんばろう…
では最後に『吾妻鏡』と牛車の図を載せて、終わります。
さぁ、まさかの2回連続のupとなりました、stagでございます。
まぁ、単に私のupが遅れただけなのですが…。
午前中は、太子堂などに向かいました。2,3日目と同じように拓本を取ったり、調査票を書いたりと、あまり変わりませんでした。
問題となったのは、午後です。各班分かれての作業となったのですが、我々の班は、月山神社に向かいました。
わずか3人での作業で、連日の疲れもあったのか、黙々と作業をこなしていきました。
それでも、その日一日では終わらせることはできませんでした。
4日目は、3日目のようなハプニングも起こることもなく、帰って来たのも、時間ギリギリ。そんな4日目なのでした。
お久しぶりですね。歴産の遅刻者stagでございます。
今週(先週)の授業ですが、三者面談と発表が半々でした。
11月に入り、本格的に就活の準備が始まっています。9日にも就活ガイダンスがありますね。出席を忘れてはいけません。
さて、私は、トップバッターで佐藤研究室に入りました。その後も続々と入っていく佐藤ゼミの面々…。中では、一体何が話されているのでしょうか。待っている間、他のゼミ生(というより、男子)は学食でボンヤリ。私は、発表があり、あたふた。
これからやるべきこと、自分の長所、短所等々話が有りました。これから忙しくなります。
三者面談も終わり、私の発表…。
今回は、赤湯温泉について、調査。
調べた史料は、『赤湯温泉記』と『赤湯村温泉記』というタイトルも内容も似ている史料を扱いました。
終わってみると、三者面談と発表で、通常の2倍のダメージを受けた私でした。
卒論も就活も頑張らなければなりませんね。
親子の争いが起きていました。おわり。
どうも佐藤ゼミのグー・タラ男こと蜻蛉です。
今回は私と弁慶殿の発表でした。
私は「最上家の家督相続を巡る山形の動乱について」という発表です。
天正2年、ここ山形では最上義光と父・義守を中心とした家中を二分する争いが起きていました。発表では『伊達輝宗日記』と『性山公治家記録』を参考に戦いの経過をたどり、また近年その存在に疑問の声があがっている義光の弟・義時についても触れました。
弁慶殿の発表は「農民の団結」について。
地頭を代えてもらうために農民が協力して訴えたことを『鎌倉遺文』という文献を用いて見ていきました。
私の文献も弁慶殿の文献も読むのに苦労しましたね。昔の文書には見たこともないような漢字が盛りだくさんでした。ありがとう漢字辞典。
ぼちぼち卒論や進路についても考えなきゃいけません。
今週は3者面談だー…、はぁ。
先日行ったフィールドワークのレポートの提出期限も迫ってきたしね、ぼちぼち頑張ります。
はい、今度こそおわり。